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命を賭してA級順位戦に…死の4カ月前、不屈の大名人・大山康晴が挑んだ“最後の大勝負”「あのプレーオフこそ大山先生の絶局だった」
text by
北野新太Arata Kitano
photograph byMasaru Tsurumaki
posted2023/10/15 17:00
1992年3月、大山康晴はがんと闘いながら名人挑戦権を争う順位戦A級プレーオフに進出。同年7月、A級在籍のまま69歳でこの世を去った
がんと闘いながら名人挑戦権を争うプレーオフに進出
'70年代から棋士を撮り続け、大山とも懇意にしていた写真家の弦巻勝は、がんが判明した後の十五世名人と東北を旅している。
「朝の5時半頃、宿の僕の部屋に大山先生から電話が入るんだ。『あんた、何してるのよ』『……寝てました』『寝てなんていないで、お風呂にいらっしゃい』って。で、一緒に湯船につかりながら、大山先生は腹のがんのところを触れさせるんだよ。『ここなのよ。ね、固くなってるでしょ』って……。温泉から上がったら、6時から麻雀。抜け番の時、大山先生はみんなの灰皿を洗いにいくんだ。もちろん僕らは『先生やめてください』って言うんだけど『こんなの誰がやっても一緒よ』ってね。究極の合理主義者だよ。でも、もう宴会では酒を呑めなかったし、柔らかいものだけ口にしていた。だから僕は八百屋でバナナを買ってきたんだ。本当に喜んで、美味そうに食べてくれたよ」
病と闘いながら、A級で高橋、米長邦雄、谷川浩司に3連勝する。降級を免れるどころか、6勝3敗で首位に並び、4人で名人挑戦権を争うプレーオフへと進出した。
前年順位の下位者から勝ち上がりを狙うパラマス方式のトーナメント初戦が高橋との再戦だった。20代でタイトル5期を重ね、31歳の指し盛りを迎えていた青年には初の名人挑戦への強烈な野心があった。
「あの年は調子が良くて、今の勢いならいけると思っていたんです。誰にでもそんな時はあって、千載一遇のチャンスを掴めるかどうかで人生は分かれてしまうものです。乗り切らなくちゃと思ってました」