昭和に一時代を築いた巨星が、棋士人生最後の大勝負に臨んだ。この世を去る4カ月前、名人挑戦を懸けた第50期順位戦A級プレーオフ。誰もが驚いた一手詰めはなぜ生じたのか。60歳を超えた今も戦い続ける当時の対局者、高橋道雄が真相を語った。
凍てつく寒さの朝も、大山康晴はコートを着なかった。
冬の対局日。JR千駄ケ谷駅を出て、将棋会館へと足早に向かう。急ぐ人が横を通り過ぎて自らの前に出ると必ず抜き返したという負けず嫌いの逸話は、いかにも作り話のようだが複数の目撃談が残っている。
ところが、最後の冬だけは丈の長い外套を羽織っていた。あの朝もポケットに手を入れ、穏やかな足取りで戦いの現場に向かった。
1992年3月9日、第50期順位戦A級プレーオフ。名人挑戦を目指して68歳の大山と激突した高橋道雄にとって、生涯忘れ得ぬ一局となった。
「あのプレーオフこそ大山先生の絶局だったと当事者として実感してます。最後に心の底から勝とうとした一局だったと思うので。対局者として大山先生と向き合えたことはとても幸福なことでした。自分にとって雲の上の上。遠すぎる存在ですから」
通算1433勝、タイトル獲得通算80期、棋戦優勝44回。昭和の大名人が残した数字はどれも偉大だが、最も語られ続けている記録は名人在位18期を含めて順位戦A級に44期も君臨し続けたことだろう。
太平洋戦争勃発前の'40年に16歳で四段に昇段。戦後の'52年に29歳で名人位に就いた棋士が高度成長期から長い王朝を築き、平成期に突入してもなお名人挑戦権を争う十傑に名を連ねたのは神の成す業と表してもいい。'84年春、結腸がんの判明によって同年の順位戦を休場する窮地に陥ったが、復帰した翌年度のA級を制し、63歳にして名人挑戦を果たしている。
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photograph by Masaru Tsurumaki