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韓国→ニュージーランド→大分へ…原点は父の「ラグビー英才教育」韓国出身プロップ・具智元が“桜のジャージ”を選んだ「納得のワケ」 

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山川徹

山川徹Toru Yamakawa

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2023/09/11 06:02

韓国→ニュージーランド→大分へ…原点は父の「ラグビー英才教育」韓国出身プロップ・具智元が“桜のジャージ”を選んだ「納得のワケ」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

韓国出身のプロップ・具智元。日本のスクラムには欠かせない存在として今大会も活躍が光る

 スクラムが強ければ、フィールドプレーや走力は二の次でいい。かつてのプロップはそんな存在だった。しかしそれでは、進化を続ける近代ラグビーには適応できない。父は息子を世界に通用するプロップに育てようとしていた。

「あの時期が一番キツかったです。正直に言えば、辛くてもう辞めたいと思った瞬間もありました。でもお父さんとお母さんが、ぼくらのラグビーのために、ニュージーランドや日本で一緒に暮らしてくれた。お父さんとお母さんのおかげで、いい環境でラグビーを続けてこられた。自分たちのために、こんなに一生懸命になってくれる両親は世界中どこを探してもいないと思うんです。だから、踏ん張らなければ、と」

 具は1994年、韓国ソウル生まれ。2歳年上の兄で、ホンダヒートのチームメイトでもある智允とともに、小学6年生からラグビーをはじめた。そのころ、家族が暮らしていたのは釜山。父が釜山の鎮海高校をコーチとして指導していたからだ。

 意外にも父は、それまで兄弟にラグビーを勧めたことはなかった。具は、韓国ではラグビーが不人気なうえ、厳しい環境でプレーを続けてケガに悩まされた経験があったからではないか、と推測する。

 だが、才能ある兄弟が楕円球を触る姿を見た父のラグビー熱が燃え上がる。

韓国→ニュージーランド→日本の「ラグビー英才教育」

「ラグビーをやるなら、いい環境で」とまだ中2の兄と小6の弟をニュージーランドに留学させたのだ。数カ月後には両親も釜山からウェリントンに移り住む。

 日本ラグビーを知る父は次の居を日本に定める。2008年に、兄の日本文理大学附属高校入学を機に大分県佐伯市へ。具も兄を追うように、同校に進む。

 そのころ父は仕事の関係で韓国と日本を行ったり来たりの生活だったが、佐伯にもどると必ずグラウンドに顔を出して、スクラムを指導した。

「低く」「低く」……。

 父は低い姿勢でスクラムを組む重要性をくり返した。その成果だろう。高校2年になった具はU-17日本代表に招集される。

 もっとがんばれば、もしかしたら……。彼がはじめて日本代表を意識した瞬間だった。

【次ページ】 日韓の架け橋に

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