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来日理由はラグビーではなくまさかの…? W杯で活躍する「海外出身日本代表選手」第1号の“超意外な経歴” 「白米に牛乳をかけて食べていた」
text by
山川徹Toru Yamakawa
photograph byAFLO
posted2023/09/11 06:00
後に初の海外出身日本代表選手として活躍するノフォムリ・タウモエフォラウ。最初はまさかの「ソロバン留学生」だった
親戚同士だったノフォムリとホポイは、同じロンゴロンゴ小学校に通っていた。
ノフォムリによれば「ホポイのおじいさんと私のおばさんが夫婦」の関係にあった。
小学校を卒業したホポイは、ラトゥの母校でもあるトンガカレッジに学んだ。
トンガカレッジもラグビーの名門で、トゥポウカレッジとの対抗戦は、日本の早慶戦や早明戦並みに盛りあがるらしい。
しかしホポイは、ラグビークラブには入らずに勉学に力を注いだ。将来は医師として身を立てたいと考えていたからだ。アメリカの大学へ留学の話もあった。そんな彼は、国王の言葉に未知の国にわたる決意をする。
「トンガと日本の架け橋になれ」
1980年4月6日――。ノフォムリは来日の日付をいまも覚えている。
初めて来た日本の第一印象は…?
ノフォムリとホポイは、トンガの民族衣装であるスカートとアロハシャツに、スリッパという出で立ちで、成田空港に降り立った。日本の第一印象を「メチャクチャ寒かったですね」とかつてのソロバン留学生は苦笑いする。
「寒いし、言葉も分からないし……。建物も車も風景もすべて違う。もう不安ですね。すぐに帰ろうと思った」
時間を間違えたのか、迎えにきているはずのソロバン塾の関係者がいない。帰ろうと主張するノフォムリをホポイが「帰るって言っても、飛行機に乗る金がないだろう」といさめた。
まず2人は東京都練馬区のソロバン教師の家に身をよせた。
「私たちも大変だったけど、先生も大変だったでしょうね。私たちは日本語も分からないし、食べ物も合わないんだから」
2年目の決意
食と言葉。ノフォムリが直面したはじめてのハードルである。海外で暮らす誰もが経験するオーソドックスな壁といえる。だからこそ、そこをクリアできるかどうかが、異文化に適応できるか否かを左右する最初のポイントとなる。
しばらくすると2人は埼玉県東松山市にあるラグビー部の寮に移った。トンガの主食はタロイモやヤムイモなどの芋類。ココナッツミルクなどで煮た豚肉や鶏肉、魚などを多く食べる。だが、毎日の朝食で出る納豆と生卵がノフォムリの口に合わなかった。彼は、白米に冷たい牛乳をかけて食べていたという。