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来日理由はラグビーではなくまさかの…? W杯で活躍する「海外出身日本代表選手」第1号の“超意外な経歴” 「白米に牛乳をかけて食べていた」
text by
山川徹Toru Yamakawa
photograph byAFLO
posted2023/09/11 06:00
後に初の海外出身日本代表選手として活躍するノフォムリ・タウモエフォラウ。最初はまさかの「ソロバン留学生」だった
望郷の念にとらわれるノフォムリを支えたのが、ホポイであり、のちに結婚する許麗梨との出会いだった。台湾出身の彼女は医師である父とともに来日し、青山学院大学で学んでいた。来日1年目に、留学生同士の交流会で知り合ったのである。
「私にとって2年目からが日本での本当の生活になった」
ノフォムリが腹をくくるきっかけが1981年のことである。その年、ニュージーランドに遠征した関東大学リーグ戦の選抜メンバーにノフォムリも選ばれた。ニュージーランドからトンガまでは直行便が出ている。ふだんは中野に預けているパスポートも手元にある。その気になれば、いつでも帰国できる状況だった。
やっと帰れる。しかし蘇るのは家族の顔だ。ノフォムリは「いま、帰ったら送り出してくれた家族や親戚ががっかりする」と自らに言い聞かせる。そのたびに別の思いもよぎる。もしも、このチャンスを逃したら……。たとえ帰国したとしても、トンガの国情を考えると海外で学ぶチャンスが再び訪れるかどうかは分からない。もう二度とチャンスはない可能性が高い。相反する思いが、彼のなかを何度も行き来した。
故郷から2000キロ南のニュージーランドで悩んだ末、彼は気持ちを整理する。日本でやっていくしかない、と。
本気でラグビーにかけるという「決断」
当初は寮でホポイと同室だったが、2人でいるとどうしてもトンガ語で話してしまう。部屋を別々にし、日本語を早くマスターしてチームに溶け込もうとした。
「あとはもうラグビーしかなかったよね」とノフォムリは語る。
言葉が伝わらないのならプレーで理解してもらうしかない。身体を張ったプレーを見せれば、仲間として認めてもらえる。そう考えてより一層ラグビーに打ち込んだ。
日本で生きていく。ホンキでラグビーにかける。その決断が、のちに続くトンガ人選手たちの道しるべとなるのである。
<「留学生の今昔」編へ続く>