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「泣くな! この悔しさを忘れるな」17歳の村上宗隆は声を張り上げて…スラッガーを育てた“最後の夏”と大粒の涙を見せた”ただ一人”の相手 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph byHideki Sugiyama

posted2023/08/24 11:01

「泣くな! この悔しさを忘れるな」17歳の村上宗隆は声を張り上げて…スラッガーを育てた“最後の夏”と大粒の涙を見せた”ただ一人”の相手<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

村上宗隆の原点は、高校時代の鍛錬にある

 村上は捕手としてだけでなく、主将としても存在感を増し、下級生から「宗隆さんがいるから大丈夫」と、その存在自体が秀岳館に勝てるという安心感につながっていた。坂井も、ダグアウトから必死に声を出し、自分が打つよりも仲間がヒットを打った方が喜ぶ村上の姿を見て、内面の成長を喜んでいた。

 ただし、秀岳館に勝つのは簡単なことではない。最後の夏、決勝で宿敵を倒すには、伏線を張る必要があった。坂井は田尻-村上のバッテリーに、「決勝まで内角攻めを封印せよ」という作戦を授けた。村上は映像を通して相手打者の傾向を事細かに記憶し、大胆な配球を要求するタイプの捕手へと成長していた。

絶体絶命のピンチに聞こえた「大丈夫!」

 そして7月24日、藤崎台球場。待ちに待った決勝。田尻は試合前の挨拶で両校が並んだとき、「デカいな……」と思わず気圧される思いがした。秀岳館の選手たちは自分たちより頭一つ身長が高かった。ただひとり、村上だけが負けていなかった。

 決勝は接戦になった。

 1回裏に九州学院が幸先よく先制点を挙げたが、2回表に秀岳館がすぐに追いつく。それでも田尻の内角攻めが功を奏し、内外角の出し入れで相手を翻弄した。

 5回裏、数少ないチャンスが九州学院にめぐってくる。2死一・三塁。打席に立つのは3番の村上だった。それに対し、中学野球のエリートで形成される秀岳館は真っ向勝負を挑んできた。その年の春、甲子園で優勝した大阪桐蔭と大接戦を演じた秀岳館にすれば、村上は「打ち取れる相手」だった。このチャンスに村上は追い込まれ、最後は外角のストレートに三振。千載一遇のチャンスをモノに出来なかった。

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