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「お前の熱さ、息苦しいよ」→「このチームで負けたら仕方がない」…甲子園を去った「ある名門野球部キャプテン」の軌跡 チームはなぜ一枚岩になれたのか?
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byNanae Suzuki
posted2023/08/16 11:02
昨年に続き東北対決となった仙台育英高に敗れた聖光学院高。部員数100名を超え、県外選手も多い「野球強豪校」だ
下級生にポジションを奪われ…高中の原点は?
高中のスタートも、劣等感からだった。
中学時代に所属していた東名古屋ボーイズでは、入団時こそショートやサードを守っていたが3年になると下級生にポジションを奪われた。中学では最終的に外野を守ることになり、悔しさが募っていた。
高中はここでの自分が「原点」と言った。
「内野の守備には自信があったんですけど、打てる選手じゃなかったんで。外野をやったのはしょうがなかったんですけど、負ける悔しさがすごくありました。高校では甲子園に行きたかったんで聖光学院に行ったんですけど、『このままじゃ無理だ』って」
聖光学院入学後も、新入生中心の合宿に連れていかれず、紅白戦にも出られないほど後方を走るような選手だった。
毎日、泣きながらバットを振る。「誰よりもやった」と自負できるほどの練習量の甲斐あり、1年生の秋からセカンドのレギュラーとなった高中には貫く意志があった。そしてもうひとつ、のちにキャプテンを務める上で欠かせない素養もあった。
部長の横山が言う。
「高校生くらいだと、大人が怒ると萎縮しちゃう子って多いじゃない。うちの野球部でもそうなんだけど、高中は俺とちゃんと会話ができるような男だった」
聖光学院はシーズンオフになると、1年生と2年生が完全に分かれて練習をする。高中はここで学年キャプテンに任命されたのだが、「あの時は、ただやらされてるって感じで。やらなきゃ、やらなきゃってだけで、何にもできませんでした」と振り返る。
横山が高中の自己評価を、こう補完した。
「高中の代は自分勝手な奴が多くて、Bチーム時代から『このままだとチームメートを見殺しにする』ってずっと言ってたな。そういうチームを引っ張るんだから、あの時の高中はずっと眉間にしわを寄せてたよ」
昨年夏の甲子園で、初戦の日大三戦での逆転ホームランなど5試合17打数9安打、打率5割2分9厘をマーク。チームのベスト4進出に貢献した高中は、新チームでも指導者と選手から納得され、キャプテンとなった。
横山いわく、昨年までは「まだ眉間にしわが寄っている日のほうが多かった」という。そんな新キャプテンを部長は、言い聞かせるように鼓舞してきた。
「赤堀はいつも笑ってただろ。お前たち後輩だって、その顔に救われてただろ」