Number ExBACK NUMBER
「コールドにしてください…」甲子園で日大名門校を次々撃破、おかやま山陽監督が“ボロ負け”で2度涙した夏「あの頃は常に悩んでいた」
text by
堤尚彦Naohiko Tsutsumi
photograph byJIJI PRESS
posted2023/08/17 06:01
初戦で日大山形を、2戦目では大垣日大を撃破したおかやま山陽。今から約15年前、監督就任当初はコールド負けを喫するような状態だった
私の判断は大誤算だった
結果を先に伝えておこう。私の判断は大誤算だった。当時、独身だった斎藤が週の5日間、家庭を持っていた私と小泉部長が週1日ずつグラウンド脇に隣接された寮に常駐していたのだが、寮で問題が頻発。ゴミの分別ルールを守らない。また、寮の食事で出る焼き魚の身のほぐし方がわからず、斎藤が目を離した隙に捨てる、これは寮生活には関係ないが、練習試合でボールボーイをする際に風船ガムを膨らますなど、やりたい放題だった。
斎藤が叱責して収まったかと思えば、また違った問題が噴出。斎藤に膨大なストレスがのしかかり、最後は体調を崩して救急車で運ばれる事態にまで陥った。
辞表を提出「まあまあ。まだ始まったばかりですから」
問題児たちに手を焼いた09年、春は地区予選を突破して16強、夏も1勝を挙げたが、秋は予選で敗退。選手勧誘での失態を含めて、責任を感じていた私は辞表を書いた。
が、理事長に辞表を差し出そうとするも、突き返された。
「まあまあ。まだ始まったばかりですから。もう少し頑張ってみてください」
この時期は、植松たちを猛練習で鍛え上げたことでつかんだ指導者としての自信も消し飛ぶくらい、常に悩んでいるような状態だった。試合では勝てない、「なんとかなるのでは」と思っていた生徒指導でも、自分の思いが上手く伝わらない。暗い迷路の中にいるような気分だった。
そんなとき、悩める私に3つのきっかけとなる出来事が舞い降りた。
<続く>
『アフリカから世界へ、そして甲子園へ 規格外の高校野球監督が目指す、世界普及への歩み』(東京ニュース通信社) 書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします