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「コールドにしてください…」甲子園で日大名門校を次々撃破、おかやま山陽監督が“ボロ負け”で2度涙した夏「あの頃は常に悩んでいた」
text by
堤尚彦Naohiko Tsutsumi
photograph byJIJI PRESS
posted2023/08/17 06:01
初戦で日大山形を、2戦目では大垣日大を撃破したおかやま山陽。今から約15年前、監督就任当初はコールド負けを喫するような状態だった
ホクホク顔の私とは裏腹に、不安な表情を浮かべる人物がいた。小泉清一郎部長だ。小泉部長は、私の2代前に指揮を執った道廣天監督の下で部長を務めていた。前監督の就任に伴い、指導体制が刷新された後は軟式野球部の部長、監督を歴任。東京都出身で法政一(現・法政大高)、法政大という球歴を歩んだ後、高校野球の指導ができる学校を探して、北から南まで日本全国の学校に電話で問い合わせ、おかやま山陽に赴任したという熱血漢だ。その熱さでチームに好影響を与えてほしいと考えた私が懇願し、2008年夏の大会終了直後から部長に復帰してもらっていた。年長者でもある小泉部長がしきりに言う。
「堤、本当にええんか?」
素行に問題があった選手も「生まれ変わるだろう」
というのも、入学を希望していた選手たちは、実力があるにはあるが、学校生活などの素行に問題があった選手がほとんど。指導に手を焼くことを嫌った強豪校からは入学を断られている選手が大半だった。前々監督の下で高校野球の指導を経験していた小泉部長は、この手の選手の扱いの難しさを骨身に染みて知っていたため、私に再考を促したのだ。
08年のチームは夏に劇的な勝利を収め16強入りしたとはいえ、秋、春は地区予選敗退。就任時の理事長から命じられた「安定して県大会に行く」という目標は達成できていなかった。少なからず焦りもあった私は、「青春ドラマのように体当たりで指導すれば、悪い人間も生まれ変わるだろう」と自分に言い聞かせ、部長の反対を振り切り、これらの選手たちを獲得した。