濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
「やれよ!」悪質ブーイングも…当事者が語った堀口vs神龍“25秒ノーコンテスト”の一部始終とは?「無謀な試合続行」を求める観客はなぜ生まれたか
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byRIZIN FF Susumu Nagao
posted2023/08/01 17:03
堀口の指が神龍の右目に入る瞬間。25秒のノーコンテストととなった
誰よりも悔しいのは選手たちなのだ。厳しい練習と減量を乗り越え、ようやく迎えた試合。それが25秒で終わってしまう。勝ちも負けもつかない無効試合。けれど競技運営側は、選手の熱意にほだされてはいけない。たとえその場では残酷な判断でも、選手の安全を、つまりは健康と生命を優先しなくては格闘技は成り立たない。
選手の安全を顧みない一部の観客たち
それにしても、だ。「やれよ!」とはなんと無責任で酷い言葉だろうか。そんな声に耳を傾ける必要はまったくないんだと神龍には伝えたい。
もちろん、続行不能の裁定にブーイングをしたり、非難の言葉を発したファンは全体から見ればごく一部だろう。いつの時代も、選手の安全を顧みない観客はいる。酔っ払って「殺せ!」などと叫ぶ人間に顔をしかめた経験のある格闘技ファンは多いはずだ。
ただ現代はSNSで、顔も名前も知られることなく選手に罵詈雑言を浴びせることができる。「俺は客だから(ファンだから、一般人だから)何を言っても構わないんだ」という意識がSNSで増幅され、他者の悪意も可視化され、会場でも気持ちのタガが外れてしまうということはあるのではないか。
SNSには「俺ならやる」と豪語する格闘家もいた。堀口を責める者も。大半は「ストップやむなし」と感じていても悪意は目立つ。筆者はPRIDE全盛期から20年が経ち、観客層が若返っている影響も考える。格闘技における“安全”の意味と重要性を、また一から啓蒙していく必要があるのではないか、と。
格闘技シーンを考えるきっかけに
25秒で終わった堀口vs神龍への反応は、この日のメインイベントで敗れた朝倉未来への罵倒と嘲笑と同じように、格闘技シーンのダークサイドを感じさせた。片方の目が見えない選手に「試合を続けなくては」などと思わせてはいけない。望むべきはリマッチの早期実現だろう。
今回はベラトールのタイトルマッチとして行われたが、それは日本開催だからという面も強いようだ。だから再戦もベラトールのアメリカ大会より、日本で実現する可能性が高いだろう。願わくば大晦日、少しでも悪意の薄れた会場で決着戦が見たい。
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