甲子園の風BACK NUMBER
「大阪桐蔭? どこですか?」常勝軍団が無名校だった頃…初優勝メンバーを集めたのはPL戦士だった「“歩いて通える”で有力選手が一気に集結」
text by
吉岡雅史Masashi Yoshioka
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/08/03 10:33
大阪桐蔭の生駒グラウンド。関西の有力選手が一気に集まった大阪桐蔭は1991年夏の栄冠を奪取、しかし黎明期はスカウトに苦戦していた
なぜ胴上げをしなかったのか
閉会式後のインタビューは傑作だった。「きのう腕立て伏せをやって鍛えたんですけど、優勝旗は予想以上に重かった」と、前夜の弱気はどこ吹く風の玉山節全開である。グラウンドを引き揚げる際には部長の森岡に「先生、重いからこれ持って」と深紅の優勝旗を差し出す。森岡は「なんやねんその言い方は」と怒ったふりで応酬した。彼なりの感謝の表現だったことは伝わっている。『先生、いつも守ってくれてありがとうございました。先生が果たせなかった全国制覇です。優勝旗を手にして下さい」。そう言っていることを。
玉山は「大阪桐蔭野球部員54人、誰ひとりとして役割を担っていない者はいない。それが一番誇れることです」と、頼れるリーダーらしい総括で全国制覇をかみしめた。胴上げなき日本一こそが、彼らに最もふさわしいフィナーレだったのだ。長澤のセリフを拝借すれば「高校球児にとって最高のパフォーマンスは甲子園で優勝すること。その事実に勝るパフォーマンスなどない」のだから。<#1「原点編」、#2「甲子園編」もあわせてお読みください>
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