甲子園の風BACK NUMBER
清原和博は大阪桐蔭ナインに“あるアドバイス”を送っていた… 甲子園初出場で初優勝、1991年大阪桐蔭の真実「もう時効だから明かします」「キーマンは雑用係」
posted2023/08/03 10:30
text by
吉岡雅史Masashi Yoshioka
photograph by
Kazuhito Yamada
夏の甲子園初出場で初優勝
予告通りとは言え、気配すらなかった。それにしても日本一の瞬間である。考えが変わりましたと、胴上げをやらんもんかな……。入社4年目、高校野球担当になって2シーズン目だった筆者は、スタンドから選手たちの動向を見つめていた。試合直前、キャプテンの玉山雅一が「そんなんやりませんよ」と断言していたとはいえ、感動的な儀式を1991年夏の甲子園で見ることはできなかった。
決勝戦史上まれに見る打撃戦を制したのは、創部4年目の大阪の新鋭校だった。2年連続で決勝進出を果たした沖縄水産に序盤で最大4点差をつけられながら、5回裏に打者10人の攻撃で6点を奪っての大逆転。最終スコアは13-8。両校合わせて21得点は決勝戦での最多(当時)、4点ビハインドをひっくり返した逆転劇は決勝での最多点差タイと、記録まみれの優勝であった。さらに夏の甲子園初出場初優勝は1976年の桜美林以来15年ぶりの快挙だった。
自由奔放なチームの真骨頂「胴上げなし」
最後の打球はショートゴロ。元谷哲也が軽快にさばいてファーストへ。塁審のアウトのコールが先か、ベンチから全員が飛び出したのが先か。なだれ込むようにマウンドへ選手が殺到し、だれもが声にならない声を上げる。整列して校歌斉唱のあとは一塁側アルプス席の応援団に歓喜の報告――。ここまでは例年と一緒だった。
そこからだ、違ったのは。閉会式までの短い間にベンチ前で監督や部長が胴上げされるものだが、大阪桐蔭ナインはそれをしなかった。玉山は有言実行し、他の選手にもそんな空気はない。このチームの公式戦すべてを追ってきた筆者は「しょうがない連中やな」と呆れつつ、「確かに、こういう子らやったな」と、自由奔放なチームの真骨頂を再認識していた。筆者にとっては見慣れたはずの紺色に銀色の糸で縁取った胸の「TOIN」の4文字が一際まぶしく感じたものだ。