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清原和博は大阪桐蔭ナインに“あるアドバイス”を送っていた… 甲子園初出場で初優勝、1991年大阪桐蔭の真実「もう時効だから明かします」「キーマンは雑用係」

posted2023/08/03 10:30

 
清原和博は大阪桐蔭ナインに“あるアドバイス”を送っていた… 甲子園初出場で初優勝、1991年大阪桐蔭の真実「もう時効だから明かします」「キーマンは雑用係」<Number Web> photograph by Kazuhito Yamada

大阪桐蔭が夏の甲子園初出場で初優勝した1991年当時、西武で主力となっていた清原。PLの伝説のバッターは大阪の“新設校”にアドバイスを送っていた

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吉岡雅史

吉岡雅史Masashi Yoshioka

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Kazuhito Yamada

 大阪桐蔭、敗れる――。7月30日、大阪大会決勝で履正社に屈した常勝軍団の一報は全国を駆け巡った。春夏優勝9度、今では敗北が衝撃をもって受け入れられるほど「勝利」が当然視される名門校にとって、初の戴冠とはどのようなものだったのか。1991年初優勝のチームを当時、取材していた日刊スポーツの元記者が振り返る。(Number Webノンフィクション、全3回の第1回/#2#3につづく)

夏の甲子園初出場で初優勝

 予告通りとは言え、気配すらなかった。それにしても日本一の瞬間である。考えが変わりましたと、胴上げをやらんもんかな……。入社4年目、高校野球担当になって2シーズン目だった筆者は、スタンドから選手たちの動向を見つめていた。試合直前、キャプテンの玉山雅一が「そんなんやりませんよ」と断言していたとはいえ、感動的な儀式を1991年夏の甲子園で見ることはできなかった。

 決勝戦史上まれに見る打撃戦を制したのは、創部4年目の大阪の新鋭校だった。2年連続で決勝進出を果たした沖縄水産に序盤で最大4点差をつけられながら、5回裏に打者10人の攻撃で6点を奪っての大逆転。最終スコアは13-8。両校合わせて21得点は決勝戦での最多(当時)、4点ビハインドをひっくり返した逆転劇は決勝での最多点差タイと、記録まみれの優勝であった。さらに夏の甲子園初出場初優勝は1976年の桜美林以来15年ぶりの快挙だった。

自由奔放なチームの真骨頂「胴上げなし」

 最後の打球はショートゴロ。元谷哲也が軽快にさばいてファーストへ。塁審のアウトのコールが先か、ベンチから全員が飛び出したのが先か。なだれ込むようにマウンドへ選手が殺到し、だれもが声にならない声を上げる。整列して校歌斉唱のあとは一塁側アルプス席の応援団に歓喜の報告――。ここまでは例年と一緒だった。

 そこからだ、違ったのは。閉会式までの短い間にベンチ前で監督や部長が胴上げされるものだが、大阪桐蔭ナインはそれをしなかった。玉山は有言実行し、他の選手にもそんな空気はない。このチームの公式戦すべてを追ってきた筆者は「しょうがない連中やな」と呆れつつ、「確かに、こういう子らやったな」と、自由奔放なチームの真骨頂を再認識していた。筆者にとっては見慣れたはずの紺色に銀色の糸で縁取った胸の「TOIN」の4文字が一際まぶしく感じたものだ。

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