甲子園の風BACK NUMBER
「大阪桐蔭? どこですか?」常勝軍団が無名校だった頃…初優勝メンバーを集めたのはPL戦士だった「“歩いて通える”で有力選手が一気に集結」
posted2023/08/03 10:33
text by
吉岡雅史Masashi Yoshioka
photograph by
Hideki Sugiyama
大阪桐蔭、敗れる――。7月30日、大阪大会決勝で履正社に屈した常勝軍団の一報は全国を駆け巡った。春夏優勝9度、敗北が衝撃をもって受け入れられるほど「勝利」が当然視される名門校だが、平成に入ってしばらくは「無名校」の状態だった。常勝軍団への一歩目となる1991年の初優勝当時のチームを取材していた日刊スポーツの元記者が振り返る。(全3回の第3回、「清原からの伝言」編は#1、甲子園前編は#2へ)
レフト・井上大のファインプレー
準々決勝は名門・帝京が待ち構えていた。3ー2で迎えた6回表、相手の4番でエース・豊田智伸のレフトへの大飛球を井上大がラッキーゾーンの金網に身を預けてもぎ捕った。井上はマウンドの和田にグラブで答える程度で、当たり前のように守備を続け、普通にベンチに戻って行く。派手なガッツポーズもなければ、弾むようにグラウンドを駆け抜けることもしなかった。
驚くのはこれからだった。直後の攻撃で、先頭打者の井上が右中間へ待望の自身甲子園初ホームランを叩きこむ。マンガの主人公のような展開に、さすがに我慢できなかったのだろう。二塁ベースをまわったところで井上は応援席に向かって遠慮がちに2度、右手を突き上げた。でも、それだけ。以降も飄々とプレーを続けた。
ガッツポーズ禁止令
その姿を見て、思い出したのが長澤和雄監督の「野球観」だった。
長澤は筆者と同じ長嶋ファンで、思い出話に花が咲いた。「三振してもエラーをしてもカッコよかったもんな。特にあのオーバーアクションがたまらんかった」と、すっかり野球少年に戻っていた長澤が、選手にはガッツポーズを禁止していると聞いて驚いた。「だってバッターにとってホームランを打つ、逆転タイムリーを打つ。それ以上のパフォーマンスはないわけでしょ。最高のプレーをしたのだから、それ以外に余計なことなんかする必要がない」との理由からだった。その信念は甲子園で逆転満塁サヨナラホームランを打っても貫けるのかを問うと、「それこそ、それを上回るパフォーマンスはないやん。もう分かるやろ」と、珍しく語気を強めていた。