The CHAMPIONS 私を通りすぎた王者たち。BACK NUMBER
絶頂期23歳の世界王者が交通事故死…“永遠の王者”大場政夫はなぜ首都高で散ったのか?「強気な性格」「運転中、必ず抜き返さないと収まらなかった」
posted2023/07/27 17:00
text by
前田衷Makoto Maeda
photograph by
JIJI PRESS
※初出は2017年5月28日発売Number927号掲載の連載「[私を通り過ぎた王者たち。]#7 大場政夫」 肩書き、年齢は掲載当時のもの
寺山修司の著作でもユニークな『みんなを怒らせろ』というスポーツ・エッセイがある。この中でボクシングに言及した寺山は、怒れる若者と飢える若者を同一視し、「アトム畑井よ、愛されようと思ってはならないのだ。おそれられることだけが、チャンピオンになる条件なのだから」と書く。
この本を読むと決まって大場政夫のことを思い出すのはなぜだろう。「飢え」と「怒り」がひとつの時代に重なるからだろうか。
チャンピオンになって親に家を建ててやりたい
昭和40年代、東京五輪を成功させた直後、庶民はみな貧しく、ハングリーであることがボクサーの原動力だった時代である。東京の貧しい下町の子は、「チャンピオンになって親に家を建ててやりたい」と夢みて当時王子にあった帝拳ジムの門をくぐった。
大場を直接取材したことは数回しかないから、特に親しかったわけではない。だが、なんとなく親近感を覚えていたのは、年齢がほぼ同じで私もまた東京の貧しい下町の子だったからだ。大場が走った荒川の土手は、わがジョギングコースでもあった。
ハンバーグをご馳走になった大場が「こんなうまいものがあったのか」と驚いたという秘話は長野ハルマネジャーから聞いた。
帝拳ジム初めての世界チャンピオンは、わが国ではハングリーな社会が生んだ最後のヒーローといっていいのではないか。
感動的なチャチャイ・チオノイ戦
多くのボクシングファンは、ダウンを喫しても立ち上がり、逆転KO勝ちする不撓不屈のボクサーとしてこのボクサーを記憶しているのではないだろうか。大場を知らない最近のファンや選手でもYouTubeを見て好きになったという人が少なくない。特にラストファイトとなった対チャチャイ・チオノイ戦(1973年1月)はいま映像を見直しても感動的である。