The CHAMPIONS 私を通りすぎた王者たち。BACK NUMBER
絶頂期23歳の世界王者が交通事故死…“永遠の王者”大場政夫はなぜ首都高で散ったのか?「強気な性格」「運転中、必ず抜き返さないと収まらなかった」
text by
前田衷Makoto Maeda
photograph byJIJI PRESS
posted2023/07/27 17:00
帝拳ジム初の世界チャンピオンとなった大場政夫。50年前にわずか23歳で生涯を閉じた“永遠の王者”の足跡を振り返る
世界フライ級王座の5度目の防衛戦。試合開始早々、すでにピークを過ぎたとみられたタイの「稲妻小僧」の弧を描くような右ロングを浴びて、ダウン。倒れる際に右足首を捻挫する絶体絶命のピンチに立ちながら、徐々に回復して反撃。終盤の12回に怒濤のラッシュを敢行してチャチャイを倒し返し、ベルトを死守した。
その前のV4戦でもパナマの最強挑戦者アモレス相手にダウンを挽回してKO防衛を果たしていたから、このチャチャイ戦で「逆転男」の異名は確定する。
過剰なほどの自信家
しかし、世界チャンピオンになる前の大場は決してスペクタクルな試合をする選手ではなかった。当時の最軽量級フライ級にしては大きい167cmの長身を活かしたアウトボクシングが得意で、打ち合いもするが、特にパンチが強いというわけではなかった。帝拳と中村の有力ジム同士が懇意にしていたことから小林弘とダブル・メインで行われることが多く、観客は「両試合とも判定だな」と覚悟して後楽園ホールに足を運んだものだった。
世界王者になる前年に大場と対戦して一度はダウンを奪いながらも判定負けした松本芳明(元日本王者)は「パンチは想像したほど強くなかったけど、気が強かった」と証言している。この桁外れに強気の性格は大場のボクシングを決定づけるもので、大場を知る誰もが指摘する。もちろん優れたボクサーに備わった資質のひとつである。
「身体能力、運動神経が抜群だったし、気は強いし、ボクサーとして必要なものを備えていた」(本田明彦帝拳ジム会長)のが大場だった。喧嘩っぱやくて、後にいくつもの武勇伝を聞かされた。今ならスキャンダルにもなりかねないが、いい時代だったのだろう。大場に比べると、近年のチャンピオンたちはみな優等生と思えるほどだ。
じつは「バンタム級に転向させるつもりだった」
「過剰なほどの自信家」(本田)だった大場が唯一苦しんだのが、減量だった。世界チャンピオンになって、大場は5度の防衛を果たし、その間に4度のノンタイトル戦をこなしている。近年チャンピオンの無冠戦はあまり行われないが、大場にはそれを必要とする理由があった。ジムは減量苦の大場のために、フライ級リミットの112ポンドを3ポンドオーバーの115ポンド前後で無冠戦をやらせ、試合後もそのまま体重を増やさずに次の防衛戦に向かうという苦肉の策をとっていたのだ。