熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
怒れる闘将ドゥンガ59歳…実は優しかった「貧民街で石を投げつけられたよ」苦労人の過去「日本の文化に強い関心を」〈ブラジルで直撃〉
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2023/07/16 11:00
ブラジルでの現地インタビューに応じてくれた闘将ドゥンガ
「13歳のとき、インテルナシオナルのU-15の入団テストを受けて合格した」
――それは、ファルカンへの憧れからですか?
「それもあるが、最大の理由は当時、グレミオ(注:インテルナシオナルの宿敵)よりも積極的に若手を起用していたから。僕の家族、親族はほぼ全員がグレミオのファンだったが、1人の叔父だけがインテルナシオナルのファンで、彼の手引きで入団テストを受けた。数百人の子供がテストを受けて、合格したのは数人だけ。幸運だった」
生き残るためには他人を蹴落とさなければならなかった
――アカデミーでの生活は?
「苦労の連続だった。州都ポルトアレグレへ出てきて、スタジアム内にあった選手寮に住んだが、窓ガラスが割れていて、冬は寒風が吹きすさぶ(注:ポルトアレグレの気候は温帯で、冬はかなり寒い)。食事は一年中同じで、ご飯とフェイジョン豆にわずかな肉と野菜。しかも、日曜日は食堂が閉まり、サンドイッチ2つが配給されるだけ。ひもじかった。そこで、一計を案じた。通っていた中学で裕福な家の子と仲良くなり、週末はその子の家でご飯を食べさせてもらった」
――子供ながらに知恵を絞ったわけですね。
「用具も不十分で、サッカーシューズを履けるのは試合のときだけ。練習のときは運動靴だ。ただ、品質が悪く、2、3日履いたら足の裏にマメができる。年上の選手はそれを知っていて、わざと足を踏みつけるんだ。痛くて飛び上がったよ。アカデミーでも激しい競争があり、生き残るためには他人を蹴落とさなければならないから、みんな必死なんだ(注:日本と違って、ブラジルのアカデミーでは随時、選手の入れ替えがある)」
――日本ではありえない状況ですね。
「それだけじゃない。午前中、地元の中学まで5kmほどの道のりを歩いて通ったが、途中に貧民街がある。帰りにその前を通ると、悪ガキたちから石を投げられる。そこで、その貧民街に住んでいる子を探して、一緒に下校した。それからは、石を投げられなかった。また、みんな服をほとんど持っていなかったから、外出する時は互いに服の貸し借りをした。
こんな感じで、様々な問題に直面し、知恵を絞ってそれらを乗り越える術を身に付けた。こういった創意工夫なりマリーシアが、フットボールでも役立った面があると思う。もう二度とやりたくない経験ではあるけどね(笑)」
歯を食いしばってとどまるか、諦めて家に戻るか
――13歳や14歳で、そのような厳しい状況によく耐えられましたね。
「選択肢は2つ。歯を食いしばって踏みとどまるか、プロ選手になる夢を諦めて家へ戻るか。裕福な家庭の子は、たいてい耐え切れなかった。私よりはるかに才能があった子でもね。でも、私には『プロ選手になる』という夢があったから、必死に耐えた」
――当時も今も、インテルナシオナルはブラジルを代表する名門クラブの一つです。他のビッグクラブのアカデミーでも、似たような待遇だったのでしょうか?