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怒れる闘将ドゥンガ59歳…実は優しかった「貧民街で石を投げつけられたよ」苦労人の過去「日本の文化に強い関心を」〈ブラジルで直撃〉
posted2023/07/16 11:00
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Hiroaki Sawada
1993年5月のJリーグ創設から、30年が経過した。この間、合計数百人ものブラジル出身の選手や指導者がリーグの発展、そして日本のフットボールの進歩と強化に力を貸してくれた。その中で、ジーコと並んで特筆すべき役割を果たしたのがこの男だろう。
カルロス・カエターノ・ブレルドン・ヴェーリ、通称ドゥンガ。母国での選手、監督としての総合的な評価は、ジーコ以上かもしれない。
ワールドカップ(W杯)に3度出場し、1994年大会にキャプテンとして優勝トロフィーを掲げた。今となっては信じがたいことだが――その翌年、ジュビロ磐田へ加入。1997年、Jリーグ初優勝の立役者となってMVP。その後の磐田の黄金時代の礎を築いた。
引退後、二度に渡ってセレソン(ブラジル代表)の監督を務め、近年はブラジル南部で恵まれない人々を支援する慈善活動にいそしむ。
かつて鬼の形相と怒号で磐田のチームメイトを震え上がらせた59歳は、にこやかな笑顔で自宅へ迎え入れてくれた。Jリーグと日本のフットボール、日本文化と日本人への思いを存分に語ってくれた。
本当に理解してくれる人は“怒りん坊”が正しくないと
――あなたのニックネームにしてフットボールネームの由来は、幼い頃、体が小さかったので、叔父さんがディズニーのアニメ映画「白雪姫」に出てくる末っ子の小人の名前(注:英語では「ドーピー」、日本語では「おとぼけ」で、ポルトガル語では「ドゥンガ」)で呼んだからと聞いています。
「その通り。私も二人きょうだい(注:姉がいる)の末っ子だからね」
――ただ「ドゥンガ」の性格は「おとぼけ」ですが、ブラジルでも日本でも、多くの人があなたは七人の小人の中で最年長の「おこりんぼ」(注:英語では「グランピー」)に近い、というイメージを持っています。
「そのようだね。でも、私のことを本当に理解してくれている人は、そのイメージが正しくないことを知っている」
――親族にプロ選手が多かったそうですね。
「父は、ブラジル南部のクラブなどでCFとして活躍した。2人の叔父も、プロ選手だった」
――身近にフットボールがあったわけですね。
「アルゼンチン国境に近い小さな町で生まれ、歩けるようになるとすぐにボールを蹴り始めた。10歳で地元のアマチュアチームに入った。最初は左ウイングだったが、13歳の頃からボランチになった」
子どもの頃の憧れはファルカンだった
――子供時代の憧れの選手は?
「ファルカン(注:1973年から86年までインテルナシオナル、ローマなどで活躍し、セレソンでは1982年と86年のW杯に出場。引退後、1990年から91年までブラジル代表を、1994年に日本代表を指揮した)。華麗なテクニックと広い視野の持ち主で、彼のような選手になりたい、と思って練習に励んだ」
――プロクラブのアカデミーに加わったのは?