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「拷問に近い批判を、私の家族にまで…」ドゥンガが語る“地獄と栄光のW杯”「ロマーリオの夜遊びをアシスト? 初耳だ(笑)」

posted2023/07/16 11:01

 
「拷問に近い批判を、私の家族にまで…」ドゥンガが語る“地獄と栄光のW杯”「ロマーリオの夜遊びをアシスト? 初耳だ(笑)」<Number Web> photograph by Lutz Bongarts/Getty Images

アメリカW杯を制してトロフィーを手にするドゥンガ。しかし4年前は“拷問レベル”の批判にさらされた

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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Lutz Bongarts/Getty Images

 “怒れる闘将”ドゥンガに、知られざる幼少期の苦労話や現役当時の武勇伝、今と昔の日本への印象などを幅広く聞くと、優しく縦横無尽に答えてくれた。(全3回の2回目/#1#3につづく)

 ブラジル南部の田舎町で生まれ、強豪クラブのアカデミーでもまれながら順調に成長。念願のプロ契約を結び、イタリア・セリエAでも活躍し、1990年ワールドカップ(W杯)に向けてA代表キャップを順調に積み重ねるなど、W杯出場の夢が目前に迫ってきた。

マラドーナをファウル覚悟で止めるべきだった

――1989年からA代表に定着し、26歳で1990年のW杯イタリア大会の出場登録メンバーに選ばれました。

「子供の頃からの夢を、段階を踏んで一つずつ実現してきた。ただ、セレソンはいつのW杯でも優勝を求められる。巨大なプレッシャーを感じた」

――セバスチアン・ラザローニ監督は、ブラジルでは珍しい3バックを採用。メディアと国民からは「守備的」と不評でした。それでも、W杯グループステージ(GS)を首位で突破。ラウンド16で、宿敵アルゼンチンと対戦します。アルゼンチンは、エース・マラドーナが体調不良で、GSを辛うじて3位で通過。試合内容はセレソンが圧倒的に優勢でしたが、決定機を逃し続けた。逆に終盤、マラドーナからのパスをクラウディオ・カニーヒアに決められ、痛恨の敗北を喫します。

「我々はチャンスの山を築いたが、相手GK(セルヒオ・ゴイコチェア)の好守もあって、どうしても点が取れなかった。

 失点の場面は、中盤でマラドーナが猛然とドリブルを始めた時点で危険を察知し、私は彼に右斜め後方から軸足(右足)にタックルした。ファウル覚悟で止めるつもりだったが、奴はびくともしなかった。軸足ではなく、左足にアタックして倒すべきだった」

――マラドーナがブラジルのDF4人に囲まれながら右足で放ったパスがCBリカルド・ロッシャの股間を抜け、ゴール前でフリーになっていたカニーヒアへ。カニーヒアはGKタファレルをかわし、無人のゴールへボールを蹴り込みました。マラドーナの股抜きパスは、意図したものだったのでしょうか?

「奴は天才だ。ロッシャの足の動きを見て、狙ったに違いない」

すさまじい罵詈雑言を私の家族にまで…

――セレソンは、その後の猛攻も実らず、敗退。ラザローニ監督は「守備的で臆病だった」と痛烈に批判されました。あなたも、チームの守備的なスタイルを象徴する選手とみなされ、メディアと国民から目の敵にされました。

【次ページ】 肉離れを起こしていた中での“人生の賭け”とは

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