「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
あの広岡達朗が泣いた…厳格な指揮官に反発し、やがて心酔した若松勉が語る“ヤクルト初優勝”の情景「お客さんがグラウンドに飛び込んできて…」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2023/07/13 17:30
1978年、ヤクルトスワローズの優勝パレードでオープンカーに乗る若松勉(左)と広岡達朗監督。いつしか両者は強固な信頼関係で結ばれていた
前年は巨人に対して7勝19敗と大きく負け越した。しかし、78年は開幕最初の直接対決こそ2敗1分としたものの、最終的には10勝9敗7分と僅差ながら勝ち越しに成功する。当時、「巨人の方がかえって固くなっていたように思う。プレッシャーなんてさらさらないよ」と語っていた若松が振り返る。
「開幕した頃は半信半疑な部分もあったけれど、シーズンが進んでいくにつれて“頑張れば優勝できるかもなぁ”という思いが芽生えてきました。この頃にはチームの雰囲気もガラリと変わっていましたね」
優勝争いが白熱していた9月には19日、翌20日、さらに21日と、中日を相手に三夜連続のサヨナラ勝利を手にして、着々と初優勝に進んでいく。こうして迎えたのが78年10月4日、神宮球場での対中日ドラゴンズ24回戦だった――。
広岡も若松も涙にくれた、悲願の初優勝
「この日のことはよく覚えていないんです。でも、優勝した瞬間、大矢(明彦)と抱き合って、バックネット裏の片隅でオイオイ泣きました。その光景はよく覚えているんだよなぁ……」
球団創設29年目で初めてリーグ制覇した瞬間、神宮球場は一種のパニック状態に陥った。観客席では色とりどりの紙吹雪が乱舞し、幾重もの紙テープが投げ込まれた。それと同時に、ライトスタンドを中心とした観客たちが続々となだれ込んでくる。若松の頬が緩む。
「興奮したお客さんが次々とグラウンドに飛び込んできたので、僕は怖かったです(笑)。でも、広岡さんがファンの中に入っていって優勝のお礼を述べていました。そこから逃れた後、大矢と泣きながら抱き合いました」
現役時代に出版された『小さな大打者 若松勉』(沼沢康一郎/恒文社)には、次のような感動的な場面が描かれている。
《ファンの騒ぎからのがれたヤクルトナインは、ダッグアウトの横にあるバッティング・ルームに入り、今度は泣き声と歓声の大合唱である。
クールといわれる広岡監督が目に涙を浮かべながら、
「ワカ、よくやったなあ、ありがとう!」
若松の手をしっかり握っていた。若松も、
「監督、何度か休んで申し訳ありませんでした。ボクこそありがとうございました」
涙、涙、涙……全力で戦った者だけが感じあえる喜びの涙だった》