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アウェイに向かう道中は赤信号ナシ、白バイに囲まれ扱いはプレジデント並…「NFLに最も近づいた男」が明かす本場アメリカでの“超VIP待遇”
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph byGetty Images
posted2023/07/18 17:00
昨季でアメフト競技の現役引退を発表した木下。未だ彼の実績を超える日本人選手はいない
日本とアメリカに感じた大きな”差”
木下の話を聞けば聞くほどに、当時、彼がNFLという舞台の目前まで近づいていたことは間違いない。それだけに、そこから本人が抱えた「孤独」は推し量って余りある。
アメリカ挑戦のあと、木下は2011年から日本のアメリカンフットボール界に復帰している。そこで目の当たりにしたのは、無情な現実だった。
「戻ってきて初めてスタイルして練習試合に出たんですよ。そしたらもう、なんていうんですかね……全てがめちゃくちゃ遅い。本当に止まってるんじゃないかっていうくらいに。大げさ抜きで、それくらいの感じでした」
木下本人は周囲の人間から「謙虚すぎる」と言われるほどの性格である。
常日頃から格下の選手であっても「全員何か優れたところがある。絶対にそれを盗んでやろうと思っていた」と言ってはばからない。そんな木下の言葉だからこそ、そこにはかえって重みがある。
「これ、みんな本気でやってないんちゃう?」
真剣にそう思った。ところが、みんなは「全力で走っている」と言っていた。そして、どうやらその言葉に嘘は無いようだった。
それこそが、木下の戦ってきた世界と、日本の格差を浮き彫りにさせるものでもあった。もちろんそれは選手個人に責任があるわけではない。2008年にはNFLの方針転換もあり、NFLヨーロッパが消滅したことも大きな原因だっただろう。
ただ、木下はヨーロッパやアメリカで試合に臨む時、冗談抜きで「ここで死んでもしゃあない」と思っていたという。その考え方が倫理的に良いかどうかは別として、それは決して大げさな表現ではない。
200cm、120kgの相手に正面からタックルした時には、「腕が取れたかと思って、フィールド上を探した」というほどの衝撃を受けた。日々、そんな相手と戦い続ける世界は、それくらいの覚悟がなければとても戦える場所ではなかったのだ。そしてそんな想いを共有し、何かを託すことのできる相手は、少なくとも当時の日本国内においては存在しえなかった。
「たぶん、選手としてのフットボールは……アメリカ挑戦で一区切りになっていたんでしょうね」
そう本人は振り返る。
もちろん日本に帰って、日本一を目指して戦った姿勢に嘘はない。それでもその熱量は、NFLという未踏の頂を目指していた頃とは、どこか異なるものがあったのも事実のはずだ。
日本人には未だ遠いNFLという未踏の頂
野茂英雄が海を渡って、大谷翔平がMLBでMVPを獲得するまでは実に26年の年月を要した。田臥勇太がNBAに参戦してから、八村塁がドラフト1巡目で選出されるまでは、15年の歳月がかかっている。パイオニアの登場から、日本人の活躍が世界で「普通」のものになるまでは、それだけの時間がかかる。
翻って、もしあの時木下がNFLに参戦できていたならば――今頃日本のアメリカンフットボール界はどうなっていただろうか? スポーツの世界に「もしも」は禁句なのだけれど、そんな世界を少しだけ夢見てしまった。
木下以降、NFLのサマーキャンプに参加できた日本人は、まだひとりも現れていない。
<#2へ続く>
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