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アウェイに向かう道中は赤信号ナシ、白バイに囲まれ扱いはプレジデント並…「NFLに最も近づいた男」が明かす本場アメリカでの“超VIP待遇”

posted2023/07/18 17:00

 
アウェイに向かう道中は赤信号ナシ、白バイに囲まれ扱いはプレジデント並…「NFLに最も近づいた男」が明かす本場アメリカでの“超VIP待遇”<Number Web> photograph by Getty Images

昨季でアメフト競技の現役引退を発表した木下。未だ彼の実績を超える日本人選手はいない

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山崎ダイ

山崎ダイDai Yamazaki

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Getty Images

 MLBで本塁打を量産する大谷翔平やNBAレイカーズで活躍する八村塁など、以前は「日本人には不可能」と言われたフィールドで活躍する選手も増えている。一方で、未だ未踏の地なのがアメフトの本場・NFLの舞台だ。かつてそこに”最も近づいた”日本人が語る、現場のリアルと壁の高さとは?(全2回の1回目/#2につづく)

 もし、あのときその一歩が出ていたならば。

 きっと木下典明の引退は、“日本人初のNFL選手”という枕詞とともに、もっと多くのメディアに騒がれながら、派手な幕引きを迎えていたのだろう。

「目の前に“道”が見えたんですよ。ボールが自分のところに飛んできて、チームメイトが相手をブロックしてくれて。タッチダウン……までいけたかはわかりませんけど、そこに飛び込んでいけば、ビッグプレーになったのは間違いなかったと思います」

 いま思えばその道は、日本人にとって高い壁であり続けたNFLという未踏のフィールドに繋がっているはずだった。栄光にむかって加速しようと、木下はギアをあげた。その刹那、慣れ親しんだはずのホームスタジアムの芝に足を取られ、小さくバランスを崩す。

「ヤバい!」

 そう思った次の瞬間――木下の目に映ったのは、タックルに向かってきた相手選手のスパイクと、無機質な緑の人工芝だけだった。

 「NFL昇格」がかかっていた“1プレー”の行方

 いまから15年前の2007年8月のことだ。

 舞台は当時、米アトランタ・ファルコンズのホームだったジョージア・スタジアム。7万人を超える観客を収容できる超大規模ドームで、木下は赤と黒のユニフォームに身を包み、キックオフの笛を待っていた。

 プレシーズン第3戦のシンシナティ・ベンガルズ戦の第4クォーター。木下は相手のキックオフを押し戻すリターナーの役割でフィールドに立っていた。

「僕の中ではあの1プレーが全てでした」

 1カ月間続くチームのサマーキャンプに招待され、そこからプレシーズンまで何とかクビになることなく生き残ってきた。ようやく待ち望んだチャンスが来たのだ。相手キッカーが蹴ったボールは、一直線に木下の胸元に飛び込んでいった。1タッチダウン差でファルコンズリードの展開の中、追加点に繋がるプレーになれば大きなアピールになるはずだった。

「あそこで抜けられたかどうかで、開幕ロスターに残れるかが決まったんだと思っています。自分の中で抜けられるイメージは見えたんですけど、足を芝に取られた。加速しようとした瞬間に引っかかって。いまでも思い出しますけどね……でも、しょうがない。あれが自分の実力だったんだろうなと」

 今年で41歳を迎える木下は、昨季限りでの現役引退を発表した。

 日本ではマイナースポーツの域を出ないアメリカンフットボールという競技において、木下の白眉は2007年と2008年にNFLのアトランタ・ファルコンズからオファーを受けてサマーキャンプからチームに帯同したことだろう。それは日本のアメリカンフットボール史上、最もNFLが近づいた瞬間だった。 

【次ページ】 日本一の選手がアメフトの本場を目指すまで

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木下典明
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