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「あれが三笘伝説の始まりですね」筑波大時代から三笘薫はやっぱりスゴかった! J1仙台相手に衝撃ゴールも…「本当にパスしないんですよ」
text by
原山裕平Yuhei Harayama
photograph byKiichi Matsumoto
posted2023/06/26 17:01
6月のペルー戦で1ゴール1アシストの活躍をみせたサッカー日本代表の三笘薫。筑波大時代の同期が大学時代の三笘の無双ぶりを明かした
「死ぬほど、筋トレしてましたね」と振り返るのは、高嶺だ。
「授業の合間に、空きコマがあったらすぐ筋トレです。初めはみんなでやろうぜという感じだったのに、いつの間にか別々にやるようになって。出し抜こうとしたんでしょうね(笑)。でも、気付いたらみんなが筋トレルームに集まっているんですよ」
気持ちが乗らない日もあったが、「たぶん、あいつらがやっているから」と奮い立つ。気付けば週1回のオフの日も、トレーニングルームに通うのが習慣となっていた。
全体練習後の自主練も、彼らにとっては日常だった。三笘と山川は1対1を繰り返し、阿部はGKとしてその1対1に加わった。高嶺はコーチを1人捕まえて、サイドチェンジのキックやターンの練習を延々と続ける。監督から「早く帰れ!」と怒られることもしばしばだったが、彼らは時間が許すギリギリまで、自己研磨に励んだ。
山川にとって三笘との1対1はこれ以上ない鍛錬の場だった。「高校生の時から1対1が課題だと思っていた」という山川と、「ドリブルをさらに強化したい」という三笘の思惑が合致して始まった1対1は、4年間、毎日のように繰り返されたという。
「最初はずっと抜かれていたんですけど、止められるようになると、またそこから薫が試行錯誤してやってくる。それでまた僕が抜かれて、対応してっていう繰り返しで。あの1対1でお互いに、そうとう鍛えられたと思います」
その姿は同期だけではなく、上級生さえも刺激した。彼らの2学年上に当たる戸嶋祥郎(現柏レイソル)は、その光景を今でも鮮明に覚えている。
「あれだけ才能がある選手たちが最後まで練習している姿は刺激になりました。本当にずっとやっていましたからね。監督も口では怒ってましたけど、僕らの前では褒めていましたよ。日々の積み重ねが大事なんだなということを、後輩の彼らに教えてもらいました」
「あれが、三笘伝説の始まりですね」
狂気にも似た努力が実り、4人は徐々に出場機会をつかんでいく。そして彼らの熱量がチームにも活力をもたらし、この年、筑波大はインカレを制覇。しかも決勝で日体大を8-0で一蹴する圧巻の戴冠だった。