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「ドラ1指名から14年かけてプロ初勝利」野中徹博はなぜ引退後に“探偵業”を志したのか? 激動の人生を歩んだ右腕が語る「失敗のススメ」
text by
田中耕Koh Tanaka
photograph byKoh Tanaka
posted2023/06/25 11:03
波瀾万丈の半生を振り返る野中徹博。58歳となった現在は、島根県の出雲西高校で野球部の監督を務めている
なぜ「探偵」の仕事に就いたのか
しかし野中には、どうしてもやりたいことがあった。それは調査会社、いわゆる「興信所・探偵業」に携わることだった。研修を受け、やがてフランチャイズの代表となった。仕事は人探しや素行調査が中心だった。
幼少の頃から、両親が別居する期間が長かった。小学生の時に母を探して家を飛び出し、夜中に警察に補導されて留置場に泊まったこともあった。
「僕が子どもの時に経験したように、大切な人の行方がわからなくなって困っている人は多いんです。こういう人たちは自分たちの力で見つけ出す術がないので、正確な情報を提供して、解決してあげる力になりたかった」
調査会社の本社は当時、探偵学校を作っていた。受講者は授業料を払い、修了証を持ってフランチャイズの代表のもとに面接に行く。野中は行動調査、いわゆる尾行調査が飛びぬけてうまかった。このため学校の講師を務め、実際にワゴン車に生徒を乗せて尾行調査を教えていたという。
ただ、調査会社は、経営が難しかった。調査員がミスをすれば契約金は依頼者に全額返納する。一度のミスが命取りになり、悪い噂が流れ負のスパイラルに陥る。収入は激減する一方で、広告や人件費などで月250万円の経費がかかった。野中は会社を自己資金だけで立ち上げたため、資金繰りが厳しくなった。
「すまないが、会社をたたむことにする」
野中は3人の調査員に頭を下げた。すると、思わぬ言葉が返ってきた。
「代表のところでやりたいんです。最後まで一緒に頑張らせてください」
野中は涙があふれそうになった。それから4カ月ほど汗を流したが、給料の未払いだけは避けなければいけない。野中は最終判断を下した。調査員には同業他社を紹介し、会社を2年半で清算した。
「汚物まみれ」の下水管調査にも従事
無職となった野中は、なにげなくフリーペーパーを見ていた。求人欄に、下水管の調査員の募集広告があった。日当は1万2000円からと記載されていた。
「普通の作業現場の仕事は8000円から1万円ぐらい。それに調査はお手の物だったので、すぐに飛びつきました(笑)」
だが、実際に会社に行くと、汚物まみれのハードな仕事だった。
作業は先発隊がマンホールから入り、下水管の材質や破損状況を下見した後、ラジコンのカメラ隊、補助員、高圧洗浄部隊が順番に入っていく。下水管は狭く、クモの巣が張った中を匍匐前進でしか進めない。ネズミが目の前を通る。下水管の元栓も止めていないので、汚物が流れる中で仕事をこなさなければいけなかった。作業が終わっても安心できなかった。マンホールから地上に出る時に、頭上を車が通過するといった危険な場面にもたびたび遭遇したという。