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「怪物が消えた」児童養護施設に預けられる寸前だった野中徹博は名将と出会い…甲子園で無双した“世代最強投手”がドラフト指名されるまで
posted2023/06/25 11:00
text by
田中耕Koh Tanaka
photograph by
Katsuro Okazawa/AFLO
多くの歴史・文化遺産を有する「神話の国」島根県出雲市。3月下旬、JR出雲市駅から車で20分のところにある出雲西高校に足を運んだ。バックネット裏にあるプレハブ小屋の監督室に、かつて甲子園を沸かせ、ドラフト1位でプロ野球の世界に入った右腕がいた。2018年から出雲西高校の監督を務めている野中徹博は、私を部屋に招き入れ、伸ばした口ひげに手をやりながら笑みを浮かべた。
「遠かったでしょう。まあ、こちらへどうぞ」
ソファに座るように勧める口調は優しかったが、183cmの長身に広い肩幅、大きい掌が否応なく視界に入ってくる。57歳になった野中は今もなお“世代最強投手”として甲子園に君臨した往年の雰囲気を醸しながら、自らの半生について語りはじめた。
少年時代から「規格外」だった身体能力
愛知県一宮市出身。物心がついた時には、空き地で年長の子供に混ざって野球をしていたという。その頃から野中の身体能力は規格外だった。小学4年生以上で構成された軟式野球チームの監督の目に留まり、2年生で入部が決まった。すぐに三塁手と捕手で試合に出るようになり、5年生からは投手に転向。ソフトボール投げ64mの強肩を生かしたストレートをぐいぐい投げ込んだ。
「誰かに野球を教わったわけではないし、自分でもわからなかったけど、小さい時から周囲には『めちゃめちゃうまい』とよく褒めてもらいました」
野中の名前が全国に轟いたのは中学時代だった。1年生の春に強豪校の3年生のチームを1-0で完封すると、いきなりエースの座に就いた。2年の冬には、まったく肩を作っていない状態で、近所のバッティングセンターのスピードガンで130kmを計測。さらに砲丸投げでは地区大会で優勝と、“異種競技”でも超一流だった。