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「ドラ1指名から14年かけてプロ初勝利」野中徹博はなぜ引退後に“探偵業”を志したのか? 激動の人生を歩んだ右腕が語る「失敗のススメ」
text by
田中耕Koh Tanaka
photograph byKoh Tanaka
posted2023/06/25 11:03
波瀾万丈の半生を振り返る野中徹博。58歳となった現在は、島根県の出雲西高校で野球部の監督を務めている
「元プロ野球選手は引退後、過去の名誉や栄光を引きずって『人に使われる仕事はできない』と考えて次のステージに立てない人もいる。でも、どんな世界でも謙虚さを忘れずに目の前の仕事をきちんとやるのは大切なことだと思うんです」
下水管の調査をしながら、週末には社会人クラブチームの佐久コスモスターズ(長野)で選手兼監督を務める慌ただしい生活を送っていた。
そんなある日、NPBから2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の打撃投手の依頼を受けた。
「こんな僕でも再びプロ野球界の力になれる。声を掛けてもらえて、うれしかったですね」
下水管の調査会社に「1カ月半の休みをください」と申し出たが、認められず会社を辞めて日本代表に参加。第1回WBCの優勝を陰で支えた。
「現役時代に日本一を経験して、引退後にまさか世界一を経験するなんて……。これまでの苦労が、少しは報われた思いでした」
「多くの失敗から学んできた人間だからこそ…」
野中は現在、人口約17万人が住む島根県出雲市の一角にある出雲西高校で野球部の監督を務めている。2018年に看板会社の社員として働いていた時に、同高野球部の総監督をしていた高校時代の先輩から指導者のオファーを受けたことがきっかけだった。
「野球を通して学んだことは、人が成長するためには、自分で行動を起こすことが必要ということ。行動を起こすから失敗もする。失敗しても、また行動する。僕自身、多くの失敗から学んできた人間だからこそ、それが成功への道を切り開く一歩だということを、子どもたちに教えてやりたいんです」
2023年3月22日。日本はWBC決勝でアメリカを下し、3大会ぶり3回目の世界一の座についた。「野球を楽しんでいる次の世代の子たちが、僕らも頑張りたいと思ってくれたら幸せです」。MVPとなった大谷翔平が記者会見で語った言葉が、野中の胸を打った。
「プロとして野球に取り組んできた以上、大谷くんの言葉じゃないけど、後世に野球の素晴らしさを伝えていくのが使命だと思う。技術はもちろん、自分の人生経験も伝えることで、それぞれの人間形成につながってくれたら……」
監督室からグラウンドに向かう。シートノックの時間が始まった。願いを込めてノックバットから放たれたボールが、天高く青空へ舞い上がった。