- #1
- #2
Number ExBACK NUMBER
「雪合戦は人を狂わせる」当たると痛いギリギリの“凶器” 雪合戦世界一の大会でショック…激減した競技人口「ピーク時の半数以下に…」
posted2023/04/07 17:45
text by
中村計Kei Nakamura
関東最強と呼ばれた雪合戦軍団「千葉レイブンズ」の創設者であり、『雪合戦マガジン』の初代編集長でもあるノンフィクションライターの中村計氏が「コロナ後」の雪合戦界をレポートする。【全2回の1回目/#2へ】
◆◆◆
「雪合戦の世界一を争う」
昭和新山――。
雪合戦プレーヤーがこの4文字を口にするとき、そこには何にも代えがたい憧憬と畏怖が込められている。
正式名称は、「昭和新山国際雪合戦」。昭和新山の麓で開催されている、事実上、雪合戦の世界一を争う大会だ。
競技としての雪合戦は1989年、人口約2400人の小さな町、北海道壮瞥町で産声を上げた。昭和の時代、2年かけて平地から隆起した昭和新山(標高398m)や、冬でも凍らない洞爺湖など貴重な自然に囲まれた地でもある。
競技雪合戦のルールをごく簡単に説明すると、試合は7人対7人の3セットマッチ(1セット3分)で行われ、シェルターと呼ばれる壁を利用しつつ、1人でも多く敵に雪球を当てた方が勝ちだ。
雪合戦プレーヤーにとっての昭和新山は、高校野球の選手にとっての「甲子園」や、大学駅伝ランナーにとっての「箱根」と同じ意味を持つ。いわば、聖地だ。
ギリギリの“凶器”
雪合戦は人を狂わせる。私は身をもって、それを体験した。私が雪合戦に出会ったのは2000年冬のことだった。
雪合戦は文字通り、「スポーツ」である以上に「合戦」だった。雪球製造機によってつくられた球形の雪の塊は、誤解を恐れずに言えば、スポーツにおいてギリギリ許される範囲の凶器だ。それだけに闘争本能が剥き出しになる。当てられたときの屈辱。そして、当てたときの愉悦。その感情のギャップが中毒症状を引き起こすのだ。
そんな極めて原始的で、子どもの遊びにもっとも近いといってもいい大会に、優勝したらまるで世の中のすべてのものが手に入るかのようなテンションと情熱で挑む大人たちの表情が、また、たまらなくチャーミングだったし、カッコよかった。
雪合戦に心を鷲掴みにされた私は、2001年に千葉県船橋市で雪合戦チーム・千葉レイブンズを創設し、昭和新山国際雪合戦で、おそらく「非雪国」のチームとしては史上最高成績といっていい2度のベスト8入りを果たした。選手として関わるだけでは飽き足らず、この競技のことを少しでも世に広めようと2008年には『雪合戦マガジン』を創刊した。
雪合戦への未練
しかし、そんな狂気の季節は長くは続かなかった。