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「雪合戦は人を狂わせる」当たると痛いギリギリの“凶器” 雪合戦世界一の大会でショック…激減した競技人口「ピーク時の半数以下に…」
text by
中村計Kei Nakamura
posted2023/04/07 17:45
4年ぶりに開催された「昭和新山国際雪合戦」。事実上、雪合戦の世界一を争う
大会初日の試合が終わったあとに開催される歓迎レセプションを兼ねた野外ジンギスカンパーティも今年は割愛された。あの場で雪合戦仲間と交流するのが、本当に楽しかったのだが。
そして何よりもショックだったのは、もっともハイレベルな一般の部のエントリー数だった。
千葉レイブンズが昭和新山に参戦していた時代、一般の部は、全国の各予選を勝ち上がってきた計128チームで争われていた。つまり、出たくても出られないチームを含めると、昭和新山を目指していたチームはそれ以上いたわけだ。しかし、今年は各地の大会開催が不透明だったため、予選通過を条件とせず、応募制にした。つまり、応募さえすれば出場できた。にもかかわらず、参加チームはピーク時の半数以下、52チームにとどまった。
さまざまな事情があったにせよ、4年ぶりにようやく開催された昭和新山を目指すチームが、全国でたったそれだけしかいなかったということだ。その事実は、にわかには信じがたかった。
エントリー数が激減したのは昭和新山だけではない。何とか開催にこぎつけた全国各地の大会も、軒並み半数近く出場チームを減らしたとのことだった。
「開催できただけ、よかったよ」
千葉レイブンズも晩年は、年を重ねれば重ねるほど時間的に、体力的に、あるいは金銭的に毎年、ギリギリだった。解散を考え始めた時期に3年も大会が中断したら、間違いなくそれが引き金になっていたはずだ。
それでも、開会式で「お帰り!」と声を詰まらせた大会実行委員会委員長の阿野裕司は、感慨深げだった。
「開催できただけ、よかったよ。もう今年は、どんな形であれ、まず開催してみよう、と。正直、それしか考える余裕なんてなかった。この3年、全国でどこも大会はできてないんだから。うちも、ずっと綱渡りだった。できるか、できないか。今年もそう。少なくても、これだけよく集まってくれた。開会式のとき嬉しかったもん」
阿野はコロナ禍の中、舌ガンと咽頭ガンを患い、4度の入退院を繰り返していたという。「お帰り!」という言葉は、自分に向けられたもののようにも感じられた。
<続く>
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