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W杯落選翌日に「次のW杯に35歳の俺が立つの、面白くない?」原口元気の心は燃え続ける…ブンデス上位→残留争い電撃移籍での“究極の献身”
posted2023/04/03 17:01
text by
島崎英純Hidezumi Shimazaki
photograph by
Getty Images
カタールワールドカップの日本代表メンバーが発表された翌日、原口元気はウニオン・ベルリンの一員としてUEFAヨーロッパリーグ・グループステージのアウェー、ロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズ戦を戦うためにベルギーの小街サン=ジルの地へ向かおうとしていた。そのときに、クラブ広報の写真に収まった彼の表情は、とても穏やかに見えた。
なぜ合っているクラブから残留争いクラブに?
4年の歳月をかけて目指した夢への道のりを閉ざされた無念は一日限りで放り投げた。今はただ、自らの力を欲する場所で全力を尽くす。2012年のロンドンオリンピック日本代表のメンバーに落選したときも、その悔しさをモチベーションへと昇華させて、ヨーロッパの舞台に立つ夢を叶えた。月日を経てもサッカーと向き合う真摯な姿勢は変わらない。ただし、自分が何故、カタールの地で戦うことが出来なかったのかは省みなければならない。自身と物事を客観的に捉えたうえで次なる解決策を見出す。それを能動的に実行してきたからこそ、原口元気というプロサッカー選手は31歳にして、今でもドイツ・ブンデスリーガで戦い続けている。
ウニオン・ベルリンは原口に“合っている”クラブだった。旧東ベルリンの地で長年下部カテゴリーに属しながらもクラブを支えてきた熱狂的なサポーターたちは、ホームスタジアムである『シュタディオン・アン・デア・アルテン・フェルステライ』のスタンドを常に埋め尽くし、全ての所属選手たちを『フッスバル・ゴッド(サッカーの神)』と称して鼓舞し続ける。サポーターの思いとシンクロすることで自らのプレーパフォーマンスを引き上げるタイプの原口は、そんなウニオンサポーターを当然愛し、かつて自身が所属した旧西ベルリンのクラブ、ヘルタ・ベルリンとの『ベルリン・ダービー』でゴールを決めた際には左胸のクラブエンブレムを掴んで味方サポーターが陣取るスタンドへ駆け寄っていった。
新しい原口元気を見せなきゃいけないのでは?
そんな原口が昨年11月、日本代表入りを逃してから約1週間後の第14節・アウクスブルク戦を2-2のドローで終えた後に、こんな言葉を発した。
「ウニオンを出ることも、一つの選択肢として考えている」と。
今季のウニオンはスイス人指揮官のウルス・フィッシャー監督体制下で快進撃を続け、首位バイエルンと勝ち点3差でリーグ優勝の可能性を十分に残している。原口自身は昨年、そんなウニオンを「とてもやりがいのある環境」とし、「イングランドのレスターの例もあるからね。かなりモチベーションが高まっている」とも話していた。
そんな状況下にも関わらず、今冬の原口は新天地でのプレーも模索していた。その理由の一端を、本人が話してくれた。