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WBCで“大谷を救った男”伊藤大海はなぜピンチに強い? 語っていた「本当に孤独なのはバッター」「ダルさんみたいになりたくて、髪の毛を…」
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph byAFLO
posted2023/04/01 11:02
東京五輪に続けて、ピンチに動じない投球が話題となった伊藤大海。プレッシャーのかかる場面でなぜ堂々とした投球ができるのか、本人の発言を振り返ると…
「すごく恵まれたポジションにいるぼくたちは、自信がなさそうな表情やクヨクヨしたところを見せちゃいけない。マウンドに立つにふさわしい姿でいなきゃいけない。五輪を経験して、より強くそう思うようになったんです」
マウンドに立つにふさわしい姿。おそらく伊藤は、ダルビッシュをイメージしているはずだ。
外野手なのに「ダルさんモデルのグローブが絶対にほしい」
伊藤は、鹿部町という道南の漁師町に生まれ育った。野球好きなタコつぼ漁師の父の影響もあって幼い頃から野球に熱中するようになった少年の胸には、いつしか「ダルビッシュみたいになりたい」という強い思いが芽生えた。
「小学校3、4年の頃だったかな、ダルさんみたいになりたくて、髪の毛を伸ばし始めたんです。当時のぼくは外野手で、ピッチャーはほとんどやらないのに、“ダルさんモデルのグローブが絶対にほしい”と言い張って両親に買ってもらったんですよ」
最初は外見から入ったが、いつしかその内面にも強く影響を受けるようになった。
小学生で木製バットを使った理由
「高校生の頃だと思います。ダルさんの考え方や、それを発信するという人としてのすごさに気づけたのは。携帯電話なんかでダルさんが発信することをチェックするようになって」
苫小牧駒澤大学(現・北洋大学)時代には、自ら編集して練習法などを紹介する動画チャンネルを始めた。
幼い頃から伊藤は、深く考えて野球に向き合っていた。例えば小学生時代の「鹿部クラップーズ」では、俊足外野手として1番に定着。打席では、ベンチからセーフティバントのサインが出ることが多かった。子どもなら自由に打ちたいと思うのがふつうかもしれないが、伊藤はむしろ自ら進んでセーフティを試みた。非力な自分には、それが生きる道だとわかっていたからだ。その長所を生かすために自ら左利きに転向し、打球がより死ぬことを知ると木製バットを手に打席に立つようになった。