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大谷翔平の“マンガを超越した怪物ぶり”がわかる「16番」の物語…打撃の神様・川上哲治は“投手の夢”を星飛雄馬に託した?
posted2023/03/29 06:01
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph by
Nanae Suzuki
侍ジャパンにて16番を背負った大谷翔平の大活躍は、もはや説明不要。実際にWBC開幕の前から背番号16を着用した大谷の姿にワクワクしていた人は多い。やはり「16番」には特別な何かを感じてしまうのである。
世代によって異なる「16番」のイメージ
とは言っても、16番に感じるロマンの源泉は各世代によって見事に分かれているのが面白い。数々のご意見があるのは承知して、背番号16でイメージする選手を、とてもザックリ大雑把に分類すると、30~40代がドジャース時代の野茂英雄、50~60代が劇画『巨人の星』の主人公・星飛雄馬、そして70~80代ともなると、16番をブランド化させた本家である川上哲治ということになるだろう。
当の大谷は16番を選んだ理由について、前回のWBC(2017年=大谷は直前の右足首負傷により出場を断念)で着用する予定であったことを明かしている。もともとは代表デビューとなった15年プレミア12で空き番号の中から選んだことが契機。背番号に対して特に大きな理由があるようではなく、当然年代的(94年7月生まれ)にも川上や星飛雄馬に憧れてのチョイスではないはずだ。
打撃の神様が“投手の夢”を託した16番
川上と星飛雄馬の16番が地続きであることは、『巨人の星』読者ならば周知の事実。巨人軍の監督となっていた川上が、かつての同僚(しかし退団勧告したのも当の川上)である星一徹の息子・飛雄馬が入団テストを経て巨人軍に入団した際に、自らの永久欠番を譲ったという設定だ。
そこに至るまでに、「血染めのボール」「身代わり退学」「ズックのスパイク」「鉢の木の話」などなど、飛雄馬をめぐる数々の泣ける話が積み重ねられたうえで、それらすべてを吹き飛ばすカタルシスとして「背番号16」が贈られるという見事な構成。
川上はかつて投手として巨人軍に入団するも、投手としては芽が出ずに打者へと転向。のちに「打撃の神様」とまで称されるも、原点である投手として16番を輝かせたかった自身のかつての夢をも投影させている16番譲渡だったのだ。
こんなエピソードを一つ思い出しただけで、現在の“大谷翔平”がいかに怪物であり、絶妙な荒唐無稽さこそが肝である漫画をも超越してしまった存在であるかが思い知らされる。