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大谷翔平「奇襲バント+絶叫71球」に見る“超負けず嫌い”「たまーにするからオモロイなと」「最後の夏、甲子園に行けなかった悔しさはずっと」
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byGene Wang/Getty Images
posted2023/03/17 11:17
侍ジャパンの4強進出に大きく貢献した大谷翔平。試合後は同僚のフレッチャーを見つけて楽しそう
最後の夏、甲子園に行けなかったという悔しさ
<名言3>
最後の夏、甲子園に行けなくて悔しかったという気持ちはずっと持ってます。いまでも勝ちたかったと思う。それが、こうしてプロでやっていることにつながってるんです。
(大谷翔平/Number858号 2014年7月31日発売)
◇解説◇
大谷の“負けず嫌い”は高校球児の頃から一貫している。
2012年、岩手県大会決勝。盛岡大附戦に臨んだ花巻東のエース大谷は、まさかの5失点を喫し、高校野球生活に別れを告げた。かねてから逸材として期待されていた大谷だが、決して順風満帆の3年間を過ごしてきたわけではない。2年夏前には左股関節の負傷で投球練習を禁止、走り込みに専念。トレーニングと食事改善に取り組んだことでその体躯を手に入れた。ただその一方で、3年春のセンバツでは打者として藤浪晋太郎から豪快なホームランを放ったものの、投手としては制球が安定せず、王者・大阪桐蔭に苦渋を嘗めたこともあった。
全てを懸けて臨んだ夏、県大会の準決勝で160kmを記録したことでメディアの注目度は一層高まったが、大舞台に立つことができなかった。
「160km出すよりも日本一になって岩手の方々に喜んで欲しかった」
当時をそう回想した大谷。当時まだ真紅の優勝旗が渡っていなかった東北に、岩手に優勝旗を自らがもたらしたかったという思いの強さを感じさせる。なお大谷は、悔し涙にくれた翌日にはもうグラウンドに出て練習していたとも言われている。
それから11年後――まるで高校球児のようにそれぞれ輝く侍ジャパンにあって、大谷もまた走・攻・守すべてで全力を発揮し、躍動している。最後は「Number」最新号インタビューから、決意の言葉を紹介しよう。
10年後、20年後、30年後、もっともっといい大会に
<名言4>
せっかくいろんな国からベストに近いメンバーが出てくるんですから、僕たちもそこにしっかりフォーカスすることによって、10年後、20年後、30年後、もっともっといい大会になっていけばいい。
(大谷翔平/Number1069号 2023年3月9日発売)
◇解説◇
イタリア戦、5回途中2失点ながらマウンド上の大谷が見せた鬼気迫る表情、そして一球ごとに「おりゃあ!」と叫び声をあげながら捕手・甲斐拓也に投げ込んでいくピッチングに心打たれた人も多いだろう。やはり大谷の全力プレーには人を惹きつける力がある。