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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「中学生の山本由伸は“どこにでもいる普通の選手”だった」コーチが叱れなかった“クシャっと笑顔”「怒られないギリギリの見極めが上手い」
text by
花田雪Kiyomu Hanada
photograph byCTK Photo/AFLO
posted2023/03/13 11:02
12日、オーストラリアから8個の三振を奪う圧巻の投球を見せた山本由伸(24歳)
入団当初のポジションは内野手。それもセカンドが主戦場だった。上級生になり、投手を務めることになっても、セカンドとの併用は変わらなかったという。
「打順も2番を打たせていました。2番セカンド兼ピッチャー。小柄な選手らしい器用さとセンスはありましたね。足は“中の上”くらい。ただ、本気で走っているのは見たことがない(笑)」
本気で走っている姿を見たことがない――。
当時の山本少年は、抜くところは上手く抜いて、大人たちの目をかいくぐる術に関しては抜群だったと、指導者のみなさんは笑いながら話してくれた。
「怒られないギリギリのラインを見極めるのが上手いんですよ。『あれ? ちょっと手を抜いているかな?』と気付かれた瞬間に少し力を入れたり。それが続いていい加減注意しようかと思うと、今も変わらないですけどあのクシャっとしたかわいい笑顔でこっちを見つめてくる。そうなると肩透かしを食らってしまって叱ることもできない」
背番号は「1」ではなく「4」
野球の技術はもちろん、処世術でも器用さを発揮した山本少年。
ただ、試合に出るようになったのは3年生になってから。その事実からも、彼が決して“スーパー中学生”だったわけではなかったことがわかる。
「おそらく、2年生で一度だけ試合に出たことがあったと思います。ただ、そのときは緊張でなにもやれずに代えました。下級生のころから上級生と一緒に試合に出るような、そういう選手ではなかったです」
3年生になり、ようやくレギュラーの座をつかんだ山本少年だったが、背番号はエースナンバーの1番ではなく、4番。日本のエースが、中学校時代はエースではなかったというのも驚きだ。
「由伸ともうひとり、馬迫宙央というピッチャーをやれる子がいて、その子が1番をつけていましたね。当時は彼と由伸がチームの二枚看板。ピッチャーとしてどちらかが優れていたわけではなく、単純に由伸はセカンドもやれるから4番をつけさせていただけです」
投手としてのライバルは同級生のエース・馬迫少年。練習で手を抜くのも一緒だったそうだ。
「小学校時代から地区も一緒だったからライバル意識はあったと思いますけど、仲も良かったですね。中学校3年まで、ピッチャーとしての力量は互角。大事な試合でもふたりとも投げさせていました」