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「中学生の山本由伸は“どこにでもいる普通の選手”だった」コーチが叱れなかった“クシャっと笑顔”「怒られないギリギリの見極めが上手い」
posted2023/03/13 11:02
![「中学生の山本由伸は“どこにでもいる普通の選手”だった」コーチが叱れなかった“クシャっと笑顔”「怒られないギリギリの見極めが上手い」<Number Web> photograph by CTK Photo/AFLO](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/1/9/1500wm/img_19d47a3e1c3a19b0820551c5a4434bf8251844.jpg)
12日、オーストラリアから8個の三振を奪う圧巻の投球を見せた山本由伸(24歳)
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![花田雪](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/6/3/-/img_63c0172edf1a3eec5d5017836b5eb9301895.jpg)
花田雪Kiyomu Hanada
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CTK Photo/AFLO
昨季はオリックス・バファローズの日本一に貢献し、個人でも2年連続で「投手四冠」を達成。まさに球界のエースに成長した24歳はどんな少年時代を過ごしてきたのか。ルーツに迫るべく、地元・岡山県に向かった。
この記事は、書籍『オリックス・バファローズはいかに強くなったのか〜選手たちの知られざる少年時代〜』(著・花田雪/日本文芸社)を一部抜粋したものです。【全2回の1回目/続きは#2へ】
![『オリックス・バファローズはいかに強くなったのか〜選手たちの知られざる少年時代〜』(著・花田雪/日本文芸社)](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/a/3/500/img_a3c9a113b99c28d074d3cc42baea5570105437.jpg)
JR岡山駅から車を走らせること10分ほど。岡山三大河川に数えられる旭川の分流・百聞川の河川敷に、山本少年が中学校時代に所属した東岡山ボーイズの専用グラウンドがある。
駐車場に車を停め、グラウンドまで歩いていくと、一歩踏み出すごとに無数のバッタが飛び跳ねる。虫が苦手な人であれば、ちょっとたじろいてしまうほどの量だ。
グラウンドの奥には岡山丘陵の山々と、青々とした空が広がる。
岡山駅の中心地からそこまで距離はないものの、豊かな自然を感じるには十分すぎる景色だ。
「どこにでもいるような普通の選手」
山本少年が所属していた当時のことを話してくれたのは、東岡山ボーイズの代表・藤岡末良さん、監督の中田規彦さん、副代表の豊田裕弘さん、コーチの片山勇人さんの4人。全員が、中学校1年生から卒団する3年生時まで、山本少年を指導した面々だ。
東岡山ボーイズはもともと、代表の藤岡さんが中心となって立ち上げたチーム。岡山県内では初のボーイズとして1988年に創設されている。
そんな歴史あるチームに山本少年が入団したのは、中学校入学とほぼ同時期。当時のことを、指導者たちはこう語る。
「背も低くて、線も細い子でした。器用なタイプではあったけど、決して『飛び抜けて上手い』というわけでもない。ウチには毎年1年生が入団してきますけど、どこにでもいるような普通の選手でした」
東岡山ボーイズに入団する前、小学生時代は地元の軟式少年野球チーム『伊部パワフルズ』に所属していた山本少年。
2学年上には現在もチームメイトである頓宮裕真がおり、彼と実家が隣同士だったのは有名な話だ。6年生時には全国大会にも出場し、神宮球場のマウンドも経験している。
「ただ、入団したときはピッチャー用ではなく内野手用のグラブを買ってきていました。本人もいきなりピッチャーをやろうとは思っていなかったんじゃないですかね。ノックでもセカンドに入っていましたね。ユニフォームがブカブカで、法被みたいになっていましたよ(笑)」