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「これで千代の富士も終わりか…」伝説の横綱を襲った“人生最悪の出来事”「俺が勝ったら、悪者だな」千代の富士が35歳引退で涙を見せるまで
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph byAFLO
posted2023/02/28 17:03
令和になっても、人気が衰えない“伝説の横綱”千代の富士(写真は1987年の1月場所で)
だが、東京後援会のお寺の住職から贈られた数珠を首からかけて場所入りすると、不思議と気持ちが落ち着くような気がした。おかげで初日を白星で飾り、その後もファンの声援を受けながら勝ち進むにつれて調子も上がっていく。気づけば北勝海と優勝争いをしていた。
千秋楽では12勝3敗で並び、優勝決定戦にもつれ込む。同部屋の横綱による同点決勝は史上初めてであった。“兄弟対決”は前々から一度はやってみたいと願ってはいたが、いざ実現すると戸惑うばかりであったという。対する北勝海も、娘を亡くして傷心の千代の富士を間近で見ていただけに、《そんな状況の中で俺が勝ったら、悪者だな……なんて、考えてしまって》闘志が湧いてこなかったと、のちに明かしている(武田葉月『横綱』)。土俵に上がり、お互い目をそらしたまま仕切って、取組に入ると、千代の富士が北勝海を左四つに組み止めて上手投げで決着をつけ、28回目の優勝を果たす。
関取が首に数珠をかけて場所入りした例としては、これ以前にも、第45代横綱の初代若乃花が大関時代の1956年、長男がちゃんこ鍋の熱湯を浴びる事故で亡くなったあとの秋場所でそうしたことがあった。ちょうど千代の富士が失意にあったときの相撲協会理事長が、元若乃花の二子山親方で、「自分で乗り越えるしかない」と激励してくれたという。
「それなら九重部屋を継いでほしい」
千代の富士は1989年の名古屋場所の14日目の旭富士戦で通算952勝に達し、当時の歴代1位であった大潮の964勝超えまであと13勝に迫った。記録更新は続く秋場所、独走状態のなかで迎えた13日目の巨砲戦で成し遂げ、優勝も早々と決めた。
この快挙を受け、当時の海部俊樹内閣は国民栄誉賞を贈ると決め、9月29日、首相官邸で授与式が行われる。彼はのちにこのときの心境を《三女の愛を亡くして、たった三か月と十七日。その間に最悪の体験と最高の体験を味わっているのだ。これも神のお導きであろうか――》と記した(『ウルフと呼ばれた男』)。
授与式のあと、両国国技館で二子山理事長と九重親方が同席して記者会見が開かれた。
千代の富士が、相撲協会から「一代年寄」の授与を打診されたものの、これを辞退したと発表されたのもこのときであった。