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大相撲PRESSBACK NUMBER
“鋼の肉体”千代の富士の姉が明かす“若きウルフの苦悩”「再会してお互い無言で泣き合って…」「毛布から出てこれなかった初の大ケガ」
text by
齋藤裕Yu Saito
photograph byAFLO
posted2023/02/18 11:02
昨年4月に話題となった千代の富士の「鋼の肉体」。現役当時を知らない世代も写真や映像などからファンとなるケースが続出している
私が住む家に来て、最初に会った時は本当、お互いに言葉が出なかった。何も言わないでお互いに、ぼろっぼろ涙が出てきましたよね。やっぱり本人もその1年とちょっとの間にいろんなこともあったでしょう。地元の学校に行きたい。相撲も辞めたい。でも……という、そんな葛藤があったなかでね。
――どれくらいの頻度で会っていたのでしょうか?
巡業に行く時、帰る時に私が住む親戚の家に寄って……というかんじでしたね。遊びに行くときもありましたよ。ボウリングとかも行ったりね。地元近くの巡業に行ったときは実家に寄るから、近所のあの人がどうだとかその時に仕入れた情報を教えてもらっていましたね。青函トンネルができる前で、連絡船の時代でしたから、私が帰れなかったので。
――活躍をどう見守っていたのでしょうか?
仕事で忙しくて国技館に見に行くことはなかったですけど、場所中は会社まで行く途中の御徒町のガード下でスポーツ新聞を買って、職場のロッカーで昨日の勝敗をチェックしていましたね。うちの親も取組を国技館で直接見たことはなかったと思います。引退式の時だけ国技館に見に行きましたね。
初の大ケガに毛布から顔を出せず…
――途中、高校を辞める決断もします。
半年くらい高校には行っていましたけど、本人のなかで思うところがあったんでしょうね「学校辞める。相撲一本にする」と聞いたときはびっくりしました。けど、二足のわらじの状態でしたからね。そして、自分の下にも力士が入ってくるし……相撲一本にして頑張るぞと意気込んで取り組むようになった。そしたら成績も上向いていった感じですよね。
――相撲を取り出してから、初めての大きなケガとなった右足のくるぶしの骨折があった時(1971年秋頃)、お姉さんが見舞いに行ったそうですね。この時の様子を覚えていますか?