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大相撲PRESSBACK NUMBER
「次は北海道新幹線で帰る」は叶わなかった…千代の富士の姉が語る“晩年のウルフ”「引退後は本当に柔らかい表情になっていた」「ある日、ポツリと…」
posted2023/02/18 11:03
text by
齋藤裕Yu Saito
photograph by
Shigeru Tanaka
「小さい頃はくるくるっとした目でしたけど、相撲の、勝負の世界に入ってからはやっぱりあのキリッとした勝負師の顔になりましたよね。でも引退して数年たったら本当に柔らかい表情になっていたんですよ」
優勝31回、通算1045勝を挙げ、2016年7月に亡くなった千代の富士。姉の小笠原佐登子さんはフィーバー前夜と引退後の様子を今でも懐かしそうに思い出す。
昨年春には「カッコイイと思って思わず保存したけど、なんて言う名前の力士なんですかね?」と現役時代の「鋼の肉体」写真が投稿され、令和のツイッター上で注目を集めた“小さな大横綱”。国民栄誉賞を受賞し、“ウルフ”の愛称でも親しまれた先代九重親方が「なんでも話すことが出来た存在」と慕っていたのが2歳年上の佐登子さんだった。生まれ故郷・北海道松前郡福島町に暮らす姉が土俵外で見せた弟の意外な一面を教えてくれた。(全2回のうち#2/前編は#1へ)
優勝31回、通算1045勝を挙げ、2016年7月に亡くなった千代の富士。姉の小笠原佐登子さんはフィーバー前夜と引退後の様子を今でも懐かしそうに思い出す。
昨年春には「カッコイイと思って思わず保存したけど、なんて言う名前の力士なんですかね?」と現役時代の「鋼の肉体」写真が投稿され、令和のツイッター上で注目を集めた“小さな大横綱”。国民栄誉賞を受賞し、“ウルフ”の愛称でも親しまれた先代九重親方が「なんでも話すことが出来た存在」と慕っていたのが2歳年上の佐登子さんだった。生まれ故郷・北海道松前郡福島町に暮らす姉が土俵外で見せた弟の意外な一面を教えてくれた。(全2回のうち#2/前編は#1へ)
相撲が楽しいというのは聞いたことがない
――千代の富士関から「相撲が楽しい」みたいな言葉って聞いたことがありますか?
楽しいっていうのは聞いたことがない。私が東京からこっちに戻ってきた後、実家に電話をかけてくるときもあったけど、やはり声のトーンで気分転換でかけてきたんだなと思うこともありましたね。良いときは「頑張るからね」という感じですけど、悪いときは冗談でも言ったら「何言ってんだ」みたいな“物言い”がつくんです(笑)。想像もつかないですけど、大変だったと思いますよ。
――お姉さんには素直な思いを吐き出していたんですね。1974年11月場所から十両に、1975年9月場所から20歳で初入幕。一度幕下陥落を経験しながら、その後は出世街道を歩み、上京から10年の1980年には関脇となり、翌年の1月場所で初優勝を果たします。地元の雰囲気はどうだったんでしょうか?