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新代表はトッド以来のフランス人! フェラーリ伝統の“人事異動”で古豪復活はなるか?《最後のタイトルから5人目》
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byGetty Images
posted2023/02/03 11:01
2000年の日本GPでタイトルを決めたフェラーリ時代のシューマッハ(左)とチーム代表のジャン・トッド。シューマッハはこの年から5連覇を果たす
それまでイタリア人が中心でレースを運営していたフェラーリを、トッドは大胆に改革した。1996年には現役では当時唯一のチャンピオン経験者だったミハエル・シューマッハを獲得しただけでなく、翌年にはベネトン時代のシューマッハと2連覇を果たしていたテクニカルディレクターのロス・ブラウン、さらにチーフデザイナーのロリー・バーンを同時に移籍させ、ドリームチームを結成した。
それでも、トッド時代が船出から順風満帆だったわけではない。1997年にはタイトル争いを演じていたシューマッハが、最終戦でオーバーテイクを仕掛けてきたライバルのジャック・ビルヌーブをコース外に弾き出したとしてチャンピオンシップから除外された。コンストラクターズ選手権を制した1999年も、ドライバーズ選手権はあと一歩のところで逃していた。それでも、モンテゼモーロはトッドを替えなかった。フェラーリを再建するには長期的な計画が必要だと考えていたからだ。
トッドが8年目の2000年、フェラーリは前年に続いてコンストラクターズ選手権で連覇し、シューマッハがドライバーズチャンピオンに輝いた。フェラーリがドライバーズ選手権で王者を獲得するのは、1979年のジョディ・シェクター以来、じつに21年ぶりの快挙だった。そして、彼らの黄金時代は2004年まで続いた。その最大の功績はトッドがドリームチームを形成したことだが、そのトッドの仕事をモンテゼモーロが辛抱強く見守っていたことも忘れてはならない。
古豪復活へ求められる忍耐力
ビノットの辞任から約2週間後の12月13日、フェラーリは後任にアルファロメオのチーム代表であり、ザウバー・モータースポーツのCEOを務めていたフレデリック・バスールを招聘したことを発表した。トッドと同じフランス人のバスールに、フェラーリ・ファンが寄せる期待は大きい。
フェラーリが最後にドライバーズ選手権を制してから15年が過ぎた。その間、フェラーリのチーム代表はステファノ・ドメニカリ(2008年~2014年4月)、マルコ・マティアッチ(2014年4月~12月)、マウリツィオ・アリバベーネ(2015年~2018年)、そしてマッティア・ビノット(2019年~2022年)と、4度交代した。同じ期間、ライバルであるレッドブルのチーム代表交代は0回、メルセデスが1回だけという事実を考えれば、フェラーリは異例とも思えるほど多い。
フェラーリの復活はチーム代表ひとりだけで成し遂げられるものではない。古豪復活のため、バスールが今後だれを迎え入れるのか。バスールによって改変された組織が結果を出すまで、親会社であるフィアットにそれを見守る忍耐力があるか。悪しき伝統を繰り返すようなことがあってはならない。