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新代表はトッド以来のフランス人! フェラーリ伝統の“人事異動”で古豪復活はなるか?《最後のタイトルから5人目》
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byGetty Images
posted2023/02/03 11:01
2000年の日本GPでタイトルを決めたフェラーリ時代のシューマッハ(左)とチーム代表のジャン・トッド。シューマッハはこの年から5連覇を果たす
その体制が転換したのは1988年。すでに1969年にフィアット傘下になっていたフェラーリだったが、レース部門であるスクーデリア・フェラーリはエンツォが掌握し続けていた。しかし、8月にエンツォが90歳で死去したことで、スクーデリア・フェラーリもフィアット傘下に入る。そこでフィアットは、同じ傘下のランチアのラリー活動で成功を収めていたチェザーレ・フィオリオをチームマネージャーとしてフェラーリに送り込み、古豪復活に賭けた。
1990年には6勝を挙げ、常勝マクラーレン・ホンダに対抗したフィオリオだったが、1991年に戦況が一変してタイトルが遠のくと、責任の所在をめぐって内紛が勃発した。フェラーリの上層部は、シーズン途中にも関わらずフィオリオを更迭して事態の収束を図った。
F1が誕生した1950年から参戦している唯一のチームであるフェラーリの活躍は常に注目の的であり、勝てなければ地元イタリアのメディアは黙っていない。創始者のエンツォが絶大なる影響力を保持していたときにはエンツォ自身が盾になっていたが、その死後、フェラーリが事実上フィアットのコントロール下に置かれて以降は、チームを任されてきた者たちが成績不振の責任を負う形で、志半ばでフェラーリを去っていくようになる。
フランス人、トッドのフェラーリ改革
その中で、ただひとりフェラーリを復活させることに成功した人物がいる。1993年から2007年までチーム代表を務めたジャン・トッドだ。
フィオリオを更迭した後もフェラーリの低迷は続いた。その状況を打開しようと、フィアットはルカ・モンテゼモーロをフェラーリに社長兼マネージングディレクターとして再度入社させた。モンテゼモーロは70年代にエンツォの下でチームマネージャーとして働き、ニキ・ラウダのドライバーズチャンピオン獲得に大きく貢献した経験を持つ人物だ。そのモンテゼモーロがスクーデリア・フェラーリのリーダー役として白羽の矢を立てたのが、ラリーやル・マン24時間レースに参戦するプジョーで成功を収めていたフランス人のトッドだった。