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なぜ柿谷曜一朗はJ2徳島に移籍したのか「名古屋には申し訳ないんやけど…」 笑顔で「めちゃ楽しい」と語る“33歳の新たな挑戦” 

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2023/02/01 11:03

なぜ柿谷曜一朗はJ2徳島に移籍したのか「名古屋には申し訳ないんやけど…」 笑顔で「めちゃ楽しい」と語る“33歳の新たな挑戦”<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

33歳となった柿谷曜一朗。若き日に再生した徳島ヴォルティスの一員として再び、戦いのピッチへと向かう

「33歳になって、ベテランと呼ばれる年になったけど、最後に徳島で、っていう気持ちはまったくなくて。今年めっちゃ活躍して徳島をJ1に昇格させるのがベストやけど、仮に上がれへんかったとしても、柿谷曜一朗はまだやれるっていうことを証明して、J1からオファーが来るくらい活躍したい。徳島に移籍金をもたらすのも貢献やと思うし、(徳島と育成業務提携を結ぶ)レアル・ソシエダからのオファーを待つのもありやし(笑)。

 そう考えると、夢があるなって。やっぱり燻ったまま終わりたくないし、そんな俺の気持ちを理解してくれたのが、徳島やったから。サッカー以外での貢献もいっぱいして。一番はサッカーやけど、それ以外での貢献もこの12年間でできるようになったから、そうした姿も見せていきたいですね」

問題児の烙印を押された中での徳島時代と、今の思い

 本人が語ったように、徳島は柿谷にとって恩人のようなクラブである。

 子どもの頃から天才と称され、16歳でセレッソのトップチームに昇格した。しかし、思うように出場機会を得られずにいると、次第に生活が乱れ、遅刻を繰り返すようになり、やがて問題児の烙印を押され、クラブが持て余す存在となってしまう。

 そんなときに手を差し伸べてくれたのが徳島だった。

「あの頃は、必死でやるのはダサい、クールにやるのがカッコいいと思っていて。自分のやりたいことだけやって、寮に帰って、遊んで、寝てっていう生活がずっと続いていたから、そら試合に出られへんに決まっている。それなのに、なんで俺を使えへんねん、って文句ばかり言って、結果、徳島に逃げる形になって。徳島に行くことになったとき、正直、俺やばいなと思ってたんですよ。サッカー選手として後がないというか。ここで出られへんかったら、サッカー選手として終わるんやなって」

 とはいえ、サッカーと向き合う柿谷の姿勢がすぐに変わったわけではない。

 監督の美濃部直彦に厳しい言葉をかけられ、倉貫一毅をはじめとする先輩たちから怒られながらも支えられ、徳島に呼んでくれた強化育成部長の中田仁司らフロントに見守られながら、少しずつ大人の階段を昇っていった。

「どうやったらサッカー選手として長くやれるんかな、と考えるようになって。朝ごはん、ちゃんと食べたほうがいいかなとか、練習開始の時間よりも早く行って準備をしたほうがいいかなとか、試合に出るにはどういう態度で練習に臨んだほうがいいのかなって。それまで人のためにサッカーをやるなんて一番やりたくなかった。なんで、お前が取られたボールを俺が取り返さなあかんねんって。でも、やらなあかんってことに徳島で気づかせてもらった。そのクラブに今、再びいると思うと、素敵な話ですね(笑)」

 1月9日に行われた新体制発表で、柿谷は「当時、倉貫選手の背中を見てプロになれたから、今度は自分が徳島の地で若い選手たちに自分の背中を見せたい」と語った。

【次ページ】 ソシエダで分析担当を務めた指揮官の下での新境地

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