- #1
- #2
Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
「当時の羽生さんは弱かった」羽生善治少年は“天才”ではなかった? 奨励会時代を知る阿部隆の証言「マジックなんて言ったら失礼ですよ」
posted2023/01/26 17:02
text by
北條聡Satoshi Hojo
photograph by
JIJI PRESS
羽生さんは、天才じゃない。
阿部隆の見立ては、いまも変わらぬままだ。プロ入りは1985年6月。3歳年下の羽生が史上3人目の中学生棋士となったのは、その半年後のことである。
奨励会時代に対戦「当時の羽生さんは弱かった」
東に羽生、西に阿部あり。
故・芹沢博文九段から「才能は羽生以上」と評価された。奨励会時代、2人は一度だけ対戦している。奨励会旅行での賞金大会の3位決定戦。互いに二段だった。
「当時の羽生さんは弱かった。少なくとも将棋に対する知識では私のほうが上だったかなと。事実、羽生さんが矢倉の定跡形で変な手順を指してきた。感想戦で『普通はこうするんじゃないの?』と指摘したら、『そんな手があるんですね』と返されて。もう、びっくりしましたよ」
羽生の四段昇段直後、「将棋世界」が企画した『東西天才少年激突三番勝負』。そこで再び、相まみえる。結果は羽生の2連勝だった。
語るべきは第2局。終盤、劣勢の羽生が鮮烈な一手を放つ。▲3九角。大駒を捨てたのだ。阿部がこれに食いつくと、たちまち形勢逆転。投了へと追い込まれる。この手は『羽生マジック第1号』とも言われている。
「まぁ、私が甘すぎましたね」
それでもまだ、東のライバルを恐れてはいなかった。ところが、わずか1年足らずのうちに、羽生は別人になっていた。自分と比べて、角1枚強くなっている。阿部は素直にそう感じたという。
「序盤や中盤を学んだんでしょうね。その知識を蓄えただけで格段に強くなってしまった。たったの1年で。プロのレベルでは考えられないことですよ」