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「当時の羽生さんは弱かった」羽生善治少年は“天才”ではなかった? 奨励会時代を知る阿部隆の証言「マジックなんて言ったら失礼ですよ」
posted2023/01/26 17:02

2023年1月22日、第72期王将戦7番勝負第2局で藤井聡太王将に勝利した羽生善治九段。52歳となった現在も、その探究心はまったく衰えていない
text by

北條聡Satoshi Hojo
photograph by
JIJI PRESS
見守る凡人には理解不能、同業の棋士ですら唖然茫然。七冠を独占した史上最強の男が指した至高の一手、「羽生マジック」に果たして“トリック”はあるのか? 魔法のような逆転劇の当事者となった3人の棋士が「羽生善治」を語るNumber1044号(2022年1月20日発売)の記事『魔術の残像。“羽生マジック”をかけられて』を特別に無料公開します。(全2回の2回目/前編へ)※年齢、肩書などはすべて当時
羽生さんは、天才じゃない。
阿部隆の見立ては、いまも変わらぬままだ。プロ入りは1985年6月。3歳年下の羽生が史上3人目の中学生棋士となったのは、その半年後のことである。
奨励会時代に対戦「当時の羽生さんは弱かった」
東に羽生、西に阿部あり。
故・芹沢博文九段から「才能は羽生以上」と評価された。奨励会時代、2人は一度だけ対戦している。奨励会旅行での賞金大会の3位決定戦。互いに二段だった。
「当時の羽生さんは弱かった。少なくとも将棋に対する知識では私のほうが上だったかなと。事実、羽生さんが矢倉の定跡形で変な手順を指してきた。感想戦で『普通はこうするんじゃないの?』と指摘したら、『そんな手があるんですね』と返されて。もう、びっくりしましたよ」
羽生の四段昇段直後、「将棋世界」が企画した『東西天才少年激突三番勝負』。そこで再び、相まみえる。結果は羽生の2連勝だった。
語るべきは第2局。終盤、劣勢の羽生が鮮烈な一手を放つ。▲3九角。大駒を捨てたのだ。阿部がこれに食いつくと、たちまち形勢逆転。投了へと追い込まれる。この手は『羽生マジック第1号』とも言われている。
「まぁ、私が甘すぎましたね」
それでもまだ、東のライバルを恐れてはいなかった。ところが、わずか1年足らずのうちに、羽生は別人になっていた。自分と比べて、角1枚強くなっている。阿部は素直にそう感じたという。
「序盤や中盤を学んだんでしょうね。その知識を蓄えただけで格段に強くなってしまった。たったの1年で。プロのレベルでは考えられないことですよ」