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《ホンダF1》撤退後も2年連続チャンピオン…前例のない新体制でもサーキットに受け継がれるエンジニアの魂とは

posted2023/01/10 17:00

 
《ホンダF1》撤退後も2年連続チャンピオン…前例のない新体制でもサーキットに受け継がれるエンジニアの魂とは<Number Web> photograph by Msahiro Owari

ホンダのエンジニアとして2022年シーズンをともに現場で戦った、TDの本橋(右)とメカニックの吉野

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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Msahiro Owari

 ホンダのF1活動史において、2022年は未知のチャレンジを経験するシーズンだった。

 ホンダはこれまで4度F1に挑戦してきた。初参戦となった第1期は1960年代の5年間。80年代前半から90年代前半にかけてアイルトン・セナらと世界の頂点を何度も勝ち取った10年間は第2期で、2000年代の9年間が第3期となる。そして、2015年から2021年までの7年間が第4期だ。

 第1期から第3期までのホンダは、休止または撤退の後、F1活動から身を引いてきたが、第4期は2021年限りでF1参戦を終了した後もパワーユニット(PU)を開発・製造し、そのPUはパートナーであるレッドブルとアルファタウリのマシンに搭載されている。「ホンダ」という会社としてはF1活動を行なっていないものの、チームからの要請に応じる形で、ホンダのモータースポーツ活動を担っているホンダ・レーシング(HRC)を通して、技術支援を続けている格好だ。

 つまり、2022年はホンダにとって、F1を撤退した後もF1活動を続けた初めてのシーズンとなった。

 初めてだったのは、それだけではない。ホンダはその特別な1年に新しい体制で臨んでいた。

新たな挑戦を担ったエンジニア

 ホンダのF1ラストイヤーとなった2021年の最終戦を終えた後、第4期の最後の4年間、テクニカルディレクター(TD)として現場を統率してきた田辺豊治はこう言ってバトンを後輩に託した。

「私はこれで終わりとなりますが、次の世代のメンバーが今回の経験も踏まえた上でホンダを担っていくことになると思います」

 田辺に代わってTDを担うことになったのは、それまで副TDとして田辺を支えてきた本橋正充だった。

 本橋がホンダに入社したのは、2001年。最初に配属されたのは栃木研究所のF1エンジンのベンチテスト部門だった。2002年と2003年はイギリス・ブラックネルのファクトリーに出向き、レースで使用したエンジンのリビルトや次のレースへ向けての発送確認、当時パートナーを組んでいたB.A.R.と協力してギアボックスのテストなどを行っていた。

 サーキットの現場で仕事を始めたのは2004年、ジェンソン・バトンのエンジン側のデータエンジニアとして。そのときのレースエンジニアが田辺だった。

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