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5年前、大阪桐蔭で起きた“選手間の対立”…いま明かされる「最強チーム」の転機とは? 山田健太「癖が強い選手ばっかりでしたから」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/11/18 06:00
2018年の甲子園を春夏連覇した大阪桐蔭。中川卓也(当時主将)が「ターニングポイントだった」と語る試合とは
根尾、藤原、中川に加え、山田健太、宮﨑仁斗、柿木蓮、横川凱。下級生の頃からスタメンで試合に出る選手が多く経験豊富ではあったが、新チーム始動時に足並みが揃っていたかと言えば、決してそうではなかった。
2年夏の甲子園後に藤原が日本代表に選ばれチームを離れ、なおかつ前チームが国体に選ばれたこともあって準備不足は否めなかった。新キャプテンとなった中川は、そのことを誰よりも肌で感じ取っていた。
「なにせ秋の大会まで時間がなかった。自分もキャプテンとして、チームを引き締めるために厳しいことを言っていたつもりではあるんですけど、他の選手からすれば焦りがあってそれどころじゃなかったと思います。それで結局、技術だけで勝負して」
秋の大阪大会と近畿大会で優勝したとはいえ、能力が高いが故に現在地の判断を見誤ってしまっていた。そのことに気づかされたのが、明治神宮大会だったわけである。
創成館との準決勝。大阪桐蔭は柿木、横川、根尾の「3本柱」が打ち込まれ、3-7と劣勢のまま迎えた9回裏。1点を返した後、2アウト満塁と長打が出れば同点のチャンスで打席に立った青地斗舞は、この試合で3安打と当たっていながら緊張で足がすくんでいた。
結果、セカンドゴロで試合終了。青地が自分の慢心を恥じるように回想する。
「正直、『絶対に負けない』と思っていたなかで、最後に緊張して自分のスイングができなかったどころか、ただバットにボールを当てにいくだけのバッティングで終わってしまって。すごく心残りでした」
大阪桐蔭コーチが放った“痛烈な一言”
負けたとはいえ、「世代最強」と呼ばれたチームがすぐに足元を見つめ直したわけではなかった。監督の西谷からは「お前たちの実力は、歴代のなかでも10番に入るか入らないかくらいだ」と口酸っぱく説かれてきても、選手のなかには、まだ「自分らは強い」と信じている者もいたという。
秋は控えメンバーとして途中出場が多かった石川瑞貴は、客観的にチームの気質を観察していたひとりだった。
「個の技術がありすぎて一体感がなかったです。いくら口では『まとまって戦おう』とか言っても、そこはあんま出なかったですよね」
石川のように少しずつチームの本質に気づき始めている人間がいるなか、橋本翔太郎コーチのド直球のひと言で、最強の男たちの鼻っ柱がへし折られたことが決定打となった。
「こんなもんか」
宮﨑はその言葉を受けた際の危機感を、今でも覚えているのだという。