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“アントニオ猪木になる前”を知るブラジル在住日本人が口々に「惜しい人を亡くした」「他人を疑うことを知らずに…」彼らの英雄だったワケ 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byHiroaki Sawada

posted2022/10/24 17:03

“アントニオ猪木になる前”を知るブラジル在住日本人が口々に「惜しい人を亡くした」「他人を疑うことを知らずに…」彼らの英雄だったワケ<Number Web> photograph by Hiroaki Sawada

アントニオ猪木とともに並ぶサンパウロ在住ジャーナリストの日下野良武さん(左)

「そして、とても義理堅い。私の母校である熊本の大学での講演をお願いしたところ、『よし、わかった』と二つ返事で引き受けてくださった。猪木さん見たさで、大学の広い講堂は超満員。講演では、私のことを盛んに持ち上げてくれた。とても心の広い、温かい人だと感じ入った」

――訃報を聞いて……。

「大変なショックを受けた。本当に惜しい人を亡くした」

頻繁にブラジルへ戻ってきて大勢の人々と交流した

 猪木寛至が17歳で日本へ渡り、アントニオ猪木となってからの足跡は、すでに良く知られている。

 しかし、その以前に彼は14歳で家族と共にブラジルへ渡航。多感な青春時代である3年間、過酷な労働に明け暮れた。そして、日本へ戻ってからも兄弟や親しい友人がいるブラジルのことを片時も忘れず、頻繁にブラジルへ戻ってきて大勢の人々と交流した。

 なお、当時サンパウロで発行していた日本語新聞二紙を調べたところ、 猪木がブラジルで力道山に見初められた瞬間の記事が残っていた。第3回では、一緒にブラジルへ渡って苦労を共にした妹・佳子さん、同じ移民船でブラジルへ渡って同じ農場で働いた片山芳郎さんの話を交えながら、幼少期から17歳で日本へ戻ってプロレスラーとなるまでの猪木の歩みをひも解いてみたい。 

〈#3へつづく〉

#3に続く
「猪木寛至17歳」が力道山に出会った瞬間、“奴隷同然”な過酷労働…ブラジルで発掘した新聞と証言で知る「アントニオ猪木になるまで」

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