熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
“アントニオ猪木になる前”を知るブラジル在住日本人が口々に「惜しい人を亡くした」「他人を疑うことを知らずに…」彼らの英雄だったワケ
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2022/10/24 17:03
アントニオ猪木とともに並ぶサンパウロ在住ジャーナリストの日下野良武さん(左)
他人を疑うことを知らない純粋無垢な人だったから
日本でプロレスラーとして成功した後、ブラジルへ戻ってきた際に猪木が最も親しく交際した友人の一人に、兵庫県出身の尾西貞夫さんがいる。誕生日が1943年2月6日で、猪木より2週間だけ先輩だ。
1968年にサンパウロへ移住し、会社勤めを経て東洋人街に土産物店兼宝石店を開いて大繁盛。ブラジルの日本人社会では知らぬ者がいない成功者だ。
自身の姉が猪木の兄と結婚して遠縁の親戚となり、以来、猪木がブラジルへ戻ってきた度に尾西さんの店を訪れて事業の話をしたり会食するようになったと聞いていた。
――猪木さんとはどんな話をしていたのですか?
「話の大部分は雑談だった。でも、彼がブラジルで始めた事業のことを聞き、それらの事業を推進するうえで力になってくれそうな政財界の要人との橋渡しをしてあげたことがある」
――彼の人柄をどう思いますか?
「とても人がよくて、素直。他人の面倒見もよかった」
――ブラジルで始めた事業は、結果的に失敗したようですが……。
「有名になって収入も増えると、色々な人が群がるからね。彼はお人好しで、他人を疑うことを知らない純粋無垢な人だったから……」
――訃報を聞いて、どう思いましたか?
「非常に残念。でも、もうかなり前から体調が悪かったので、覚悟はしていた。彼はもう十分に生きたと思うよ」
両国を行き来したジャーナリストの記憶
ブラジルと日本の両国で度々インタビューしたサンパウロ在住のジャーナリストがいる。熊本県出身の日下野良武さん。1943年8月生まれで、彼も猪木と同い年だ。
――猪木さんの功績をどう評価していますか?
「日本人で、日本とブラジルの友好に最も大きく貢献をした人の一人だったと思う」
――彼の人間性をどう捉えていますか?
「決して饒舌な人ではない。話をしている最中でも、下を向いて何やらじっと考えていることがあった。高学歴ではないが、色々なことをとても良く勉強していた。きっと、本をたくさん読んでいたのだと思う」