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アントニオ猪木の妹(ブラジル在住)が語る“猪木寛至の素顔”「どちらかというと寡黙な人でした」「闘病中も毎日のように電話を…」
posted2022/10/24 17:02
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
BUNGEISHUNJU/Hiroaki Sawada
アントニオ猪木の4歳年下の妹・佳子さんは、10歳のときに母親、猪木を含む兄弟10人と共にブラジルへ移住。現在はサンパウロ市内に住む。日本人男性と結婚し、二人の子供はいずれも歯科医で、一家が所有するビルの中に診療室を構える。ビルの地階に事務室があり、駐車場も経営。現在は悠々自適の生活を送る。
兄の訃報を受け、傷心でありながら、丁寧に取材に応じてくれた。
寛至兄さんだけが飛び抜けて大きかった
――どんなお兄さんでしたか?
「とってもやさしくて、思いやりがある人。兄弟全員の自慢の兄であり、弟でした。兄の活躍を通じて私たち兄弟の心が一つになり、さらに日本国内のみならずアメリカやパラオといった外国へも兄弟全員で旅行させてもらった。これ以上はありえない、最高の兄でした」
――猪木さんは、プロレスラー、政治家、実業家といった枠組みを飛び越えて、圧倒的な発信力を備えた人でした。子供の頃からあれほど積極的に発言する人だったのですか?
「いえ、そんなことはないんですよ。どちらかというと寡黙な人でした」
――大変なおじいちゃん子だったと聞きました。
「そうなんです。母方の祖父はとてもスケールが大きな人。しかも、77歳の高齢でありながら、ブラジルへ行くことを決意した。兄は、こんな祖父の影響をかなり受けたと思います」
――ご両親、ご兄弟も、皆さん大柄だったのでしょうか?
「いえいえ、全く普通の日本人の体格。寛至兄さんだけが飛び抜けて大きかった。母方の祖父が大柄な人だったそうですから、母方の血を引いたのかもしれません」
――ご兄弟は皆、スポーツが好きで活動的だったそうですね。
「兄たちのうち、二人は空手をやっていて、一人は陸上長距離。私もダンスが好きでした」
私たちを頻繁に日本へ招待してくれた
――猪木さんは、ブラジル選手権の少年の部の砲丸投げ、円盤投げなどで優勝。サンパウロの青果市場でも、怪力で有名だったそうですね。
「数十キロの穀物が入った袋をトラックの荷台へ放り投げるのですが、兄は普通の人の2倍くらいの重さの袋でも涼しい顔で投げていました」
――その後の日本での活躍は、どれくらい知っていましたか?