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中学日本代表・4番は大阪桐蔭で…「ストレスで15kg減」から最強世代のレギュラーをつかんだ日「『もう1回、桐蔭でやれ』って言われたら…」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2022/10/12 11:03
2018年、史上初2度目の春夏連覇を達成した大阪桐蔭。「最強世代」の“成り上がり選手”石川瑞貴はセンバツ直前にレギュラーをつかんだ
ストレスで体重15キロ減…控えの日々
同級生たちに目を向ける。鳴り物入りで大阪桐蔭に入り、「世代最強」と呼ばれるメンバーのなかには、早々と居場所を掴もうとする選手がおり、危機感を覚えた。
「根尾(昂)は肩が強かったり、藤原(恭大)にはスピードがあったり。他のメンバーは武器を活かせているのに、自分にはないなって思ったんですね。『負けたくない』って気持ちはあったんですけど、結果ばかりを追い求めて、“対自分”っていうか周りが見えていなかったんです。『今のままなら試合に出られない』と感じたというか」
入学時に80キロあった体重は、半年間で65キロまで激減していた。練習によって体が絞れたこともあったが、石川が「ストレスで」と笑う。実際、それも本当だった。
自分たちの世代が最上級生として迎えた2017年秋の時点でも、石川は控えだった。
背番号は13。ポジションはサードだったが、そこにはチームの精神的支柱でもあるキャプテンの中川卓也がいた。出番があるとすれば代打か、根尾の登板時にショートへ回った中川の代わりにサードへ就くのが石川の定位置となっていた。
いかにレギュラーを掴んだか?
言うまでもなく、この時点で背番号1桁の選手は固まっていたが、石川は「自分が奪えるとしたら」と照準を定める。ほとんどが前年から主力を務める選手で埋められており、自分が守れるポジションを考慮すると、可能性があるのはファーストだけだった。レギュラーの井坂太一は下級生から試合に出ていたこともあるし、秋も打率3割超えと結果を残していた。とはいえ、勝負を挑まなければ1桁の背番号を手にすることはできないのだ。
「井坂は一番のライバルでしたね。プライベートでは仲いいんですけど、グラウンドではバチバチっていうか。ケンカってほどじゃないけど、言い合いとか結構しました」
自主練習で井坂がバッティングをしていれば、石川は絶対に先には止めなかった。それだけではない。大阪桐蔭の練習は過酷さでも知られており、一旦、寮に戻れば自主練をする選手は少ない。そんななか石川は、夕食を摂り、風呂から上がったあとに室内練習場へ向かい、「差をつけるなら、この時間しかない」と、黙々とバッティングやウエートに励んだ。
――そこまで自分を追い込み、野球漬けの生活はしんどくなかったか?
石川に尋ねてみる。「しんどかったですよ」。素直に認めてから、想いを明かす。
「でも、高校野球は3年間で、自分らの代は1年しかないんで。そう考えたらできますし、本当に自分、負けず嫌いなんです。それくらいレギュラーになりたかったんで」
雌伏の時を過ごした石川に“ご褒美”が待っていたのは、この年の冬だった。