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アントニオ猪木は死の4日前に“ある言葉”を遺していた…燃える闘魂を50年撮り続けたカメラマンが語る「猪木流・お別れ会」の夜
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2022/10/05 11:07
2022年7月、闘病中のアントニオ猪木。全身性アミロイドーシスという難病との闘いの末、10月1日に79年の生涯を閉じた
「強力な猪木磁場」に引き寄せられた人々
「死」について、何度か猪木さんと話したことがある。
呼び出されて「死に際を撮ってくれ」と言われたのは、もう十数年前のことだ。「足跡を消したいんだよ」とも言われたが、具体的な内容はほとんど話していない。そのときから私は大きなテーマを猪木さんに課されてしまった。
「死を迎える覚悟はできている」と言ってみたりもしていた。だが、アントニオ猪木でも、いつか誰にでも必ずやってくる死は怖かったのだろう。
肉体を衰弱させていく病魔によって、眠れない夜が続いた。朝まで起きていることもあったという。猪木さんは元気に見える日もあったが、今思うと近づいている死期というものを十分に意識して生きていたのだろう。
9月の初めには村松友視さんもやってきて、食卓を囲んだ。アントニオ猪木に魅せられた人たちは「強力な猪木磁場」(古舘伊知郎さんの弁)に引き寄せられる。アントニオ猪木はリングでは太陽のようにギラギラと輝いて荒々しくもあったが、リングを降りると優しくて寂しがり屋でもあった。だから集まってくる人たちに、猪木さんはひと時の安らぎを感じていたのだろう。
「9月30日でデビュー62周年ですね。お祝いしましょうか」というプロレスファン的な言葉に、猪木さんは「オレは、プロレスは嫌いなんだよ」と返して笑った。「プロレスが好きでも嫌いでも、アントニオ猪木のファンですから」という言葉には「しょうがねえな」と苦笑いを浮かべた。
リハビリ中も、眠っている時ですら猪木は猪木だった
9月は猪木さんから3回電話があった。
「明日どう、餃子しかないけれど、飲み物はシャンパンがいい? ワインがいい?」とか、いきなり「今夜、どうですか」とか「明日、何していますか」とか。その度に私は猪木さんの家を訪ねた。
猪木さんは全身性アミロイドーシスという厄介な病との戦いを続けていた。
「どうせ治らない病気だから」と開き直ったように言ったかと思うと、リハビリも含めて真摯にそれと向き合った。それは道場でのトレーニングのようにも見えた。
リハビリ中にカメラを向けたことがある。そんな時でも猪木さんはサービス精神を発揮し、カメラがどこにあるかを探してしまう。眠っている時ですら、私はアントニオ猪木を感じていた。