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「青学大から声をかけていただいたことも」筑波大学院の“研究者”ランナーはなぜフォロワー数50万超えのインフルエンサーになったのか
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byYuki Suenaga
posted2022/10/22 11:00
筑波大の大学院でランニングの研究を行い、社会人ランナーとしても活躍した三津家貴也さん。なぜ彼はその後、“インフルエンサー”となったのか、本人に聞くと…
「大学は、推薦で入ったので結果を出さないといけないですが、タイムが出なくて……。明らかに高校時代よりも練習量が増えて、陸上中心の生活なのにうまくいかない。1、2年の時は、800mの自己ベストを1回も更新できなくて、それがもうめちゃくちゃストレスでした。何のためにやっているのだろう。もう部活やめようかなと考えるところまで追い詰められました」
大学でも陸上を続ける選手にとって、自己ベストが高校時代のままというのはつらいものだ。自分だけではなく、周囲からも成長していないととらえられ、プレッシャーがかかる。練習をしているのに記録が伸びない三津家さんは、ある決断を下す。
「大学2年の途中で、何かを変えようと思い、1500mに挑戦したんです。そうしたら想像よりも走れたので、そのまま取り組んだら大学3年の時に関東インカレに出場できました。出れたのは嬉しかったんですが、予選は13人中10位。大学では関東インカレに出て終わりみたいな選手でした」
自分にとって箱根はかなり遠いものでした
大学生が行う陸上競技の中で最も注目を集めているのが駅伝だ。とりわけ箱根駅伝は、このレースを走るために関東の大学に進学してくる選手が多く、学生にとっては夢の舞台でもある。大学として優勝すれば選手は優勝メンバーとして注目され、個人でも活躍すればスポットライトを浴びることができる大会だ。
「僕ももちろんスポットライトを浴びたいと思っていました。でも、それはテレビや雑誌に出るというのではなく、自分の場合はインカレでの8位入賞でした。入賞してチームに得点をもたらすと部内で表彰されるので、それが自分の中でのスポットライトになっていたんです」
筑波大学も箱根駅伝出場を目指していたが、その当時は予選会の壁を突破できずにいた。三津家さん自身も自分の競技と研究に没頭する日々で、箱根駅伝にはほとんど興味がなかった。