ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「紙コップに入れた小便を…」ベビーフェースの武藤敬司が“極悪非道”のグレート・ムタに目覚めた原点「初めてエクスタシーを感じたんだよ」
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byEssei Hara
posted2022/08/30 17:00
武藤敬司の“悪の化身”として活躍したグレート・ムタ。1990年9月14日の馳浩戦にて
鉄柱攻撃で大流血、担架で殴打…“極悪非道”の誕生
この試合後、「日本でムタを続けるなら武藤と差別化を図らなければいけない」と痛感した武藤は、1週間後の9・14広島サンプラザで組まれていた日本第2戦となる馳浩戦では、ムタの新しいイメージを固めて臨んだ。それが“極悪非道”のグレート・ムタだ。
この試合、ムタは場外での鉄柱攻撃で馳を大流血に追い込むと、割れた額に噛みつくなどやりたい放題に暴れまくり、リング下から担架を取り出して馳を殴打。止めに入ったレフェリーも殴りつけ反則負けとなりながら、最後は大流血で虫の息の馳をボディスラムでその担架の上に寝かせて、コーナー最上段からムーンサルトプレスを発射。場内は大ブーイングに包まれた。
この馳浩戦を武藤はのちにこう語っている。
「試合前半はムタの方が声援を受けていたんだけど、鉄柱攻撃で馳を大流血に追い込んでから空気がガラリと変わっていったんだ。血だらけになりながら向かっていく馳がベビーフェース的になり観客の声援が集中し、傷口に容赦なく攻撃を加えるムタがブーイングを浴びるようになった。あの時、観客席の空気を変えたブーイングにエクスタシーを感じたことで、日本でのグレート・ムタっていうのは、本当の意味で誕生したんだよ」
武藤敬司が“ヒールに目覚めた日”
こうして武藤敬司は、ベビーフェースの「武藤」とヒールの「ムタ」という二つの人格、キャラクターを獲得。“ドームプロレス”全盛の90年代にその両方の顔を駆使して大活躍することとなるのだ。
そんな武藤敬司が最初にヒールに目覚めたきっかけは、アメリカのメジャー団体WCWでグレート・ムタに変身する約3年前。初めての海外遠征でフロリダに転戦した時だった。当初、武藤はザ・ニンジャのリングネームでベビーフェースだったが、一つのきっかけで一夜にして大ヒールとなった。この経験が武藤をレスラーとして大きく変えた。